2015年12月31日

506 小 屋 ( 土台・・・アンカー処理 )

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グリップアンカー

 とうとう2015年も最後の1日となった。小屋の製作は、「芋つぼを作ろう。」というのが、最初の思いつきだった。昔、小さな小屋を作ろうとして願いかなわなかった父親の姿を見ていた。父は、戦争中の怪我がもとで、両足の膝上からの切断手術のため、室内は手を使って歩き、外では車いすを操(あやつ)って動く1級の障害者だった。両足がなくても、手だけで柿の木に梯子をかけて腕を使って昇り、剪定作業などもしていた。

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途中で止まり抜けなくなったドリルの刃

 その父親が残していた小さな小屋のための基礎を大ハンマーで打ち壊し、その5倍くらいの小屋を建てようとしているのだ。私の気持ちの中には、供養のような思いもある。しかし、いざ作業を始めて見ると、ド素人の私には困難の連続で、石を掘り起こしながら穴を掘り、石垣を組み、基礎を立ち上げるまでに5年の歳月を費やしてしまった。

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通常のアンカーボルト

 母親やその弟(叔父)は、いずれも70歳前後に亡くなった。してみると、私も、残された時間はそんなに多くはないのかも知れない。下手をすると、この小屋の製作が、私の終活の1つになる可能性もある。何とか完成をさせたいものだ。全く計画性もなく行き当たりばったりで、作り始めたので、基礎の中に埋め込んだアンカーボルトが横に寄りすぎて、上に来る土台の木に穴を開けたとき、割れる可能性があるということで、狂っていたアンカーボルト7本を、グラインダーで切断した。

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ネジ部分が足らず、コンパネを挟む

 正しい位置にコンクリートドリルで穴を開け、その中にグリップアンカーを打ち込んで、上から6角ボルトで土台の木を止めることにした。まず、土台の木のアンカーのくる場所に穴を開ける必要がある。6角ボルトが通るためには、その穴も大きなドリルの刃で開けなければならない。私のドリルには合わない刃であるが、無理矢理きつく締めて使う。途中で逡巡(しゅんじゅん)すると、止まってしまい。木から抜けなくなるトラブルも起こる。垂直に穴を開けるのも難しい。抜けなくなった刃は、ペンチで少しずつ回転させて抜くしか方法はない。

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その上に座金を置く

 基礎に埋め込んでいるアンカーボルトは、下から土台の木を貫く、土台の木の上には角座金を置き、6角ナットで締め付けると固定できる。アンカーボルトの埋め方もまちまちで、ネジの溝が足らないものもあった。仕方がないので、コンパネの切れ端に穴を開け高さを作る。その上に座金とナットで止めれば固定することができる。仕事がいい加減であると、知恵を使わなければ完成しない。

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座金の形に刻む

 グリップアンカーを埋め込んだ方は、上から刺すボルトが短めなので、逆に座金が土台の木に埋もれるようにのみで浅い穴を刻み、高さを調整する。こうすると、座金もくるくる回らずに締めやすい。

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のみで掘りとる

 これで何とかアンカーボルトで土台の木を固定することができるような加工ができた。基礎の上で、アンカーボルトの間隔を計測し、そこに穴を開けたつもりが、ずれていた場所が1カ所あった。仕方がないので、正しい場所に穴を開け直した。失敗ばかりで、またまた「大工さんは偉いなあ。」と感心するばかりだ。

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6角ボルトをねじ込めば固定完了

 垂直に穴を開けたつもりが、体の倒し具合で微妙に斜めに穴が開くこともあった。そうなると、アンカーが穴に入らないという事態が起きる。ここも仕方がないので、大きなドリルを傾けて回し、穴の内径を大きくするしか方法はない。ぎくしゃくと修正しながら作業は進む。
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2015年12月28日

505 お手伝い ( 恒例行事 )

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ハゼの紅葉

 年末恒例のお手伝い、今年は少し早く26日に行った。12月のこの時期には、ほとんど散り落ちているはずのハゼの木の紅葉が、今正に、美しい状態である。これも暖冬という異常気象の副産物だろう。風の国自体がまだ若さにあふれている頃は、きっとこの12月恒例の行事も、もっともっと盛んに行われていたと思うが、おそらく今は、自宅で餅つきをする家は、ずいぶんと少なくなっているに違いない。


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ウバメガシの薪

 私も中学生の頃から、貴重な男手として杵(きね)に振り回されながら自宅での餅つきをしていた記憶がある。どの家もまだ暗い早朝から餅つきを始め、あちこちから餅をつく音が聞こえてきたものだ。もっと子供の頃には、竈(くど)の番が子供の通常のお役目であった。薪を割る手伝いもして、薪は、家の軒下に積み上げていた。風の国では、密柑山の近くにあるウバメガシの木を薪にしている。お父さん曰く、「バベイ(ウバメガシ)は応(こた)える(火力が強くよく力を発揮する)。」らしい。


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熾(お)き

 この日は、2男も休みで餅つきお手伝いに参加、弟夫婦もお手伝いに駆けつけ、人員は比較的足りていた。いつもは、私が竈の番だったが、丸める方に顔を出すようにすることとなった。何年か前には、お父さんもお母さんも、今よりお元気で、我々が来る頃には、かなり進んでいた。今は、我々若い者のお手伝いの比重が大きくなってきている気がする。お役に立てるのは嬉しいが、少し寂しい気もする。

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紫芋

 つく餅は、かなりの量になり、もろぶた6枚分の餡餅の他に、倉庫の1部屋がついた餡のない餅だけで埋まってしまうほどである。種類も、白餅、私の作った紫芋を入れた餅、蜜柑を入れた餅、ヨモギを入れた餅、タカキビを入れた餅など色とりどりである。タカキビは、今年やっと大洲の道の駅で見つけ、お餅に混ぜた。タカキビは、昔、風の国で作っていたらしく、お父さんやお母さんには、懐かしい材料だということであった。


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ミカン

 蜜柑は小さく切って皮ごとお米と一緒に蒸す。八幡浜の美味しい蜜柑を使う。風の国らしい風味のあるお餅に仕上がる。紫芋は、豊作だったので、天ぷらにしても美味しかったと褒めていただいた。鮮やかな色が見事に付く。ヨモギは、お母さんがゆでて冷凍していたものを入れる。これもお米と一緒に蒸す。

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ポンカン(大きいのはデコポン)

 今回は、人手が多くいたので、私は1人お土産用のポンカンを摘みに、クロチの畑に出かけてみた。レモンもまだ青レモンだが、10個くらいいただいた。ポンカンは、十分収穫できるくらいに色づいていた。年明けには、収穫作業が最盛期となるだろう。


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お父さん用の椅子

 畑から帰ってみると、餅つきはだいぶ進んでいた。12時を回って終了に至り、後片付けに入る。お父さんが餅つき機の分解をしてみると、臼がうまく入っていなかったからなのか、餅が機械の下側に半臼(はんうす)分くらい漏れて貯まっていた。私が、その餅の取りのけ役になって一仕事した。お父さん用に作っていた椅子に腰掛けて作業したので、椅子は大いに役立った。

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小判餅

 全ての作業が終わり、一時、ゆったりと時を過ごす。お父さんもお母さんも、ドラマを見ても、あらすじを忘れてしまうのだと冗談めいて言っておられるのが聞こえてくる。そんなわけで、お父さんなどは、ドラマをあまり見なくなったのだそうだ。60代の私でさえ物忘れが酷いのだから、お父さん、お母さんは、さもありなんである。

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シメ鯖

 お手伝いを終えて帰る折に、活きのいい立派なサバをもらったので、とお母さんが作られたシメ鯖をお土産にいただいた。帰って一杯やる、最高のおつまみになった。美味なり。
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2015年12月25日

505 散 歩 ( 挑 戦 )

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運動公園の空 1

 今年初めの検査で分かったHbA1c(ヘモグロビンエーワンシー)の7.8がどのくらい悪い数値なのか私にはよくは分からないが、意を決してS医院を訪れて、再検査を試みた。HbA1cの値は、8を越えていた。6以上なら糖尿病なのだから、正真正銘という言葉が該当するのかも知れない。


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ウォーキングシューズ(実は安全靴)

 自分で体感する症状としては、首の腫瘍手術以後、しびれていた手や足は、10年くらいの年月で少しずつ解消に向かっている感があったのが、この最近、しびれが逆にひどくなってきてる。それが、HbA1cの上昇と関わりがあるのかは分からない。あくまでも体感なのだから。

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運動公園の空 2

 十数年前、ダイエット食と2時間の運動で1ヶ月に10kg体重を落とした。糖尿傾向は、消滅して正常値になった。しかし、今や2時間の運動もダイエット食も、高嶺の花のごとき存在になってしまっている。


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運動公園の空 3

 還暦を過ぎた頃から、膝に異常が出始めた。80歳を越えている地主さんが、未だ膝の悩みを持たないのに、20歳も歳下の私に異常ありは、いかなる兆候か、これも、私には分からず、血行不良のためかとか、ならば、血糖値と関係があるかもなどと空想することしかできない。


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手首筋トレマシーン(3千ウン百円)

 また、昨年あたりから目の中に虫が侵入して飛び回っている。 「飛蚊症(ひぶんしょう)」というらしい。1つの原因に老化と目の酷使があるそうだ。これまで血糖のせいにするのは、考えすぎのように思うが、疑念は、あらゆる方向に伸びていくもののようだ。


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夕焼け

 重い腰を上げて散歩を再開している。運動公園のグランドの周りを周回する。1周が約7〜8分、5周回ると、35〜40分となる。今は、30分くらいしか運動したくないという心境なので、5周を目標にしている。1周の途中で100回のスクワット付きのスクワットウォーキングにしている。

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帰る頃には満月

 いくらか運動を試みても、お尻かじり虫にかじられたお尻の復活は難しそうだ。きっともっと過激な運動でないと、お尻は復活しないのだろう。太股かじり虫は、スクワットで多少復活してきた。ただ増えた筋肉が柔らかい気がする。しばらくサボると、すぐに元の木阿弥(もくあみ)に戻るに違いない。それでも、意欲ある間は、挑戦を続けたいものだ。
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2015年12月21日

504 お手伝い ( 農繁期前 2 )

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伸び放題の杉垣

 師走のお手伝いもだいぶ寒くなってきた。この日のお手伝いは、除草などの畑の整備であった。お父さんは、既にモノレールに乗って畑で作業をしておられる。かけつけた我々は、畑までの小さな坂道を徒歩で降りていく。途中までは、セメントで固めた階段もある。ところが、ほぼうち捨てられたサンフル畑の横なので、杉の垣根が伸び放題になって道に覆(おお)い被(かぶ)さっている。まずそれを何とかせよとの至上命令が下り、私は、1時間ほどノコで格闘、すっきりさせた。

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葉っぱのない木

 畑では、お父さんは剪定(せんてい)、相棒は除草をしている。見ると、葉っぱの1枚もないポンカンの木が立っている。第2の至上命令は、この木を切りなさいというものであった。常緑樹である柑橘の木がどうしてこのようになるかという理由は、聞くところによると虫のせいらしい。


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枝先から切っていく

 このような木の処理は、まず適当な長さに枝先の方から少しずつ切っていく。いきなり根元から切り倒しても、そのままでは畑の通行に邪魔になるだけなので、小切りにして1カ所に積み上げておくのが、後の処理にもいいようだ。

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見事な穴が・・・

 切った枝は、枯れた頃に、お父さんが畑で燃やして最終処理となる。木の根元を見てみると、枯れるに至った証拠がはっきりと見て取れた。直径1cm強の穴が開いている。この虫は、「根虫」と呼ばれているらしい。根元から穴を開け、根っこの方に住み着くようだ。


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幹の中をかじった穴

 最後に木を根元から切る。根虫君は、見事に幹の中に穴を開けている。人間がこんなふうにかじられたら、たまったものではない。木も栄養を送る機能に支障が生まれ、徐々に枯れていく。根元に草などのゴミを置くと、虫の餌食(えじき)になる可能性が高まるそうだ。

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持ち帰り用のポンカン

 根虫にやられた勢いのない木になった実は、早く黄色に染まるが、味は酸っぱくて美味しくない。たくさんの葉っぱが付いている勢いのいい木は、多少青くても、味は甘くて美味しい。メインはポンカンの摘果だったので、勢いの良い木から摘果した実をいくつかいただいて帰った。風の国で1番に収穫するのがポンカンで、1〜2月頃である。


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修理した渡り踏み台

 風の国の様々な修理作業は、私が担当することがままある。屋内と風呂を結ぶ土間の渡りローカを、以前、作って設置していたが、上の板が割れて穴が開く寸前になっていたので、今回は、寸法を測ってペンキを塗ったコンパネを持参して、ネジ釘で固定した。小屋のコンパネのあまりが役に立った。合板なので、今度は割れないと思う。
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2015年12月18日

503 コミュニティーの旅 ( 鶴姫見参 )

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鶴姫

 冬らしい気候になってきて、山にもうっすら雪が見える。慌ただしい年末恒例の年賀状製作にも嫌気がさしてくるが、「元気です」便りにもう少し頑張らねばならない。地区の農業関係の組織で旅を企画しているらしく、農家の同級生が誘いに来た。遊びと趣味での野菜作りの私では、資格はなさそうに思えたが、後輩の飲み仲間も参加しそうなので、厚かましく参加することにした。


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どんぶり館にて

 農業関係の組織なので、道の駅の視察が1つのメインの行事になっている。集まったメンバーは、14人であった。現役ばりばりの方もいるが、ほぼリタイヤしている御隠居組である。道の駅巡り大好きの方もいる。旅はまず、1番近まわりの「どんぶり館」の視察から始まった。干し柿の製作は終わっていたが、柿があれば追加もありかなと見てみたが、既に時季外れであった。

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太陽市(おひさまいち)にて

 次に訪れたのは、松山コミュニティーセンター近くの「太陽市(おひさまいち)」という名称の道の駅であった。ここは、JAえひめ中央が経営しているようだ。内子の「からり」や久万の道の駅も訪ねたことはあったが、ここは、初めてであった。松山という地の利を得てかなりの人で混雑していた。私は、ここでは柑橘に目が行ったが、12個入りの紅マドンナの箱には、5,000円という値段が付いていたのにびっくり。


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昼食

 旅のお楽しみは、坊ちゃん劇場での観劇だったが、昼食や温泉付きで劇を見てマイクロバスで運んでもらい、4,500円は安い気がする。これは、誘ってもらい感謝かも知れない。8:30出発だったが、朝からヱビスビールでほろ酔い、バス様々である。温泉もあるというので、食事は、てっきり「利楽」と思っていたが、劇場に付随している中華料理屋さんであった。食事と仕上げの飲みがあって、観劇中は夢の中かも知れない。


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利楽の樽風呂

 たらふく飲んだが、それでも根性で「利楽」の温泉も楽しんだ。危ない脳の血管が広がり、血圧は下がったかな。むしろ、風呂の後の寒さこそが大敵かも知れないのだ。風呂から出て、劇場に駆けつけたのは、10分前集合に遅れ、5分前滑り込みセーフだった。

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鶴姫出陣

 坊ちゃん劇場の演目は、再演でキャスト一新の「鶴姫伝説」であった。大山祇神社の姫が、瀬戸内の島々を勢力範囲に取り込もうと攻めてくる大内氏(今の山口県の豪族)に立ち向かい、兄は戦死、戦いを望まないが、後を継ぐべき姫は、和平の使者に送った恋人も、だまし討ちに遭い亡くなってしまう。幼なじみの者との友情やら、様々に物語は織りなされていく。


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観劇後

 ヒロインは、元タカラジェンヌだそうで、何より感激したのは、出演の方々の声の素晴らしさであった。観劇後、記念撮影をしたり、握手をしていただいたりしたが、客席からは見えないマイクを頬に装着しておられた。そうでもしなければ、劇場一杯のあのボリュームの声は届かなかったろうと思えた。

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天使の逆階段

 帰りは16時過ぎで、鬼北に着く頃には、真っ暗になっているだろう。バスに乗り込もうとしたら、今にも雪が降り出しそうな空が割れて、太陽がまぶしい光を投げているのが見えた。天使の階段は、普通、地上に向けて発せられるのだと思っていたが、今日の階段は、天に向かって伸びていた。
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2015年12月15日

502 お手伝い ( 農繁期前 1 )

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鬼北から来た菊

 まだ秋の頃、北宇和高校で買った菊を持って風の国に出かけた。気候が暖かいからなのか、未だに元気に咲いている。花の好きな風の国のお父さんやお母さんに喜んでもらえると少し嬉しい気がする。


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野地菊

 半島では、石垣に野地菊もその小さな花を一斉に咲かせている。通い慣れた風の国なので、当たり前すぎてなかなか目にとまらないのだが、時々、ふっと目にとまり、石垣の上を見上げたりする時がある。

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熟れ始めているデコポン

 畑での最初の袋かけ作業は、クロチのデコポンから始まった。デコポンは、美味しい柑橘なので、鳥に狙われやすい。靴下のような伸縮する生地でできたサンテという袋をかける。袋といっても靴下のように一方が閉じていたりはしない。両方が開いた筒のような構造の生地だ。サンテをかけても、時々、鳥につつかれて穴が開いたりもするが、大方の被害は防げる。

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届いたアジ

 我々は、いつも午前10時頃に風の国に到着する。したがって、午前中は1〜2時間お手伝いをする。お昼に帰ってみると、親戚の漁師さんなどからお魚が届いていることもある。そんな時は、いつもはお母さんが処理をされると思うが、私がお邪魔している折には、お母さんに替わって、私が魚を捌(さば)くお手伝いをする。


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アジの刺身

 私は、ワンパターンなので、三枚におろして刺身にする。そんな時には、鬼北では考えられない豪華新鮮な刺身が何と昼食のおかずになるのだ。風の国では、当たり前の風景だが、私の感覚では、贅沢な御馳走で、内心感謝の思いが湧いてくる。

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畑の極楽鳥

 午後は、4時頃までお手伝いをする。クロチの畑には、極楽鳥が咲いている。買うと高そうなおもしろい花だが、周囲を眺めているようにあっちやこっちを向きながら、たくさん咲いている。お手伝いが終わり、帰るときに、いただいて帰ったりもする。鬼北までは1時間半くらいかかるが、帰り着いても、しおれていたりはしない丈夫な花である。

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玄関で雄叫びを上げる

 次の日から、我が家の玄関には、雄叫びを上げるかのごとく、極楽鳥たちがたむろし始め、結構長きにわたり玄関に居座って咲いている。すると、毎週出かける風の国通いは、次に出かける週末まで待たなくとも、例えば、極楽鳥と一緒に風の国の息吹をずっと我が家にもたらしてくれている気もする。
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2015年12月12日

501 トマトハウス ( 12月農園 1 )

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夏の雨蛙

 夏にはこんな愛らしい姿を見せていた雨蛙君、最近とんとその姿は見えなくなった。いくら暖冬とはいえ、既にどこかに避難して寒さをやり過ごしているに違いない。


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冬眠中だった雨蛙

 植えるのが遅くなり、育っていないような様子のサツマイモも、寒くなると土の中で風邪を引くのだという知恵を授かった。であってみれば、芋が太ってなくても、もう掘らねばならない。芋掘りをしていると、どこかへ雲隠れしていた雨蛙君が出てきた。予想に違わず、もう冬眠モードに入っていたようだ。


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安納芋

 芋は、5種類植え付けた。焼き芋用に安納芋(あんのういも)、紅はるかもほぼ同じ目的で植え付けた。この2種類は、植えるのが遅かったので、可愛いサイズのものが多かった。本当に小さめな芋は、アルミ箔に包んで焼くと、秋の味覚となる。近所の小学生のいるお家にも少しお裾分けした。

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ハヤト芋

 次は、蔓苗をいただいたハヤト芋、この芋だけが、時期を違えずいただいたおかげで通常サイズに育っていた。感謝である。使用目的は、ヒガシヤマにするのがよいと聞いているので、寒さが増す頃、誰かさんが活動を開始するだろう。


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ニンジン芋

 次は、メインのニンジン芋、数も1番たくさん植えたが、自分で苗を作ったので、植えるのが遅くなり、やはり、太りが悪かった。


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ムラサキ芋

 最後は、正月用の餅に混ぜるムラサキ芋、何と全ての芋の中で1番太りがよく、立派サイズになっていた。あまり甘みはないので、色づけに使う程度ということで10本だけ植えていたのだが、風の国に持って行って、大好評。それでも余るので、欲しい人に差し上げた。我が家でも、早速活用され、栗の渋皮煮の入った羊羹になって出てきた。


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キワーノ

 ほぼ己生え(おのればえ)だったJ君にもらったキワーノ君も3年目になる。夏には葉が繁りその姿が隠れていたが、草引きついでに探ってみると、大きな実がかなりできていた。本当は黄色くなってから収穫するのだが、夏の果物なので、もう青いものも収穫した。少しも美味しくはない果物だが、マグネシウム補給にはいいらしい。半分に切ってスプーンで食べる。 
 
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2015年12月09日

500 名残の紅葉

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色づき始めた近所の紅葉

 暖かい秋のおかげで、今年は紅葉には恵まれなかった。ところが、やや気温が下がり始めると、玄関を出てすぐに道の向こう竹藪手前にある楓(かえで)が色づき始めたのに気づく

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休養センターの哀れな紅葉

 この木は、私の中では、紅葉の指標木のようなものだ。この木が色づき始めると、山での紅葉が見ごろを迎えているはずなのだ。思わず、成川渓谷を目指した。湯元荘の上側の道は、一番の紅葉を見るスッポットなのだが、何と葉は完全に落ち、木は裸になっていた。休養センターまで上がってみたが、わずかに散り残った葉が散見(さんけん)する哀れな状況であった。

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紅葉は進む

 やはり、山がうまく紅葉しないこの頃の気候は、間違いなく異常である。それでも玄関前の紅葉が、あまりにも見事に色づいていくので、少し心がムズムズしてきた。

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更に色づく

 更に朝夕に眺めるに、色は少しずつ鮮やかになっていく。一方、お尻かじり虫攻撃を受け、ヘモグロビンA1Cの脅迫を感じるのに、この1ヶ月散歩をサボっている。勝手に理由を付け、既に心は散歩にうんざりしているのだ。

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公園駐車場のドウダンツツジ

 ほぼ誰にも出合わない山道を歩くのは、この時期、あまりにも寂し過ぎる気もするし・・・。不健康の恐怖が少し優勢で、結局、鬼北グランドを歩くことにした。運動をして、ヘモグロビンA1Cやらお尻かじり虫攻撃やらを少しなだめる作戦である。行ってみると、駐車場のドウダンツツジがあまりにも鮮やかに色づいていた。

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市越の池

 グランドは、少年サッカー大会が行われており、使えないので、池の方に上がってみた。散歩にうんざりしている我が心は、低い志(こころざし)状態で、30分だけ歩こうと決めてきた。それで十分だろう、やらないよりやる方がましなのだから。1ヶ月の休養で、足は、すこぶる重い。

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池の畔の紅葉

 池を回り始めると、私の好みのシチュエーションに出合う。やや薄暗い池の畔、鮮やかな紅葉が池に伸びている。何とも言えない色具合だ。

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アップにすると

 少しアップで撮ってみる。今年はもうこんな紅葉には出合えないと思っていた。赤のグラデーションがきれいだ。赤の力を感じる。背景が池なのもよい。

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極めつけ

 最後は極めつけの1枚のように思える。池には、対岸の木や池に架かる吊り橋の影が映り込み、水の色に変化を与えている。紅葉との色の対照もなかなかいい。たった30分の嫌々散歩だったが、ようやく、今年の紅葉にも、満足することができた。
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2015年12月06日

499 お尻かじり虫 1

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畑用の小さな椅子

 あれは、55歳の頃だった気がする。高校時代、ひょんな事からサッカー部に所属した私は、卒業の頃、とんでもない体になっていた。当時の私は、まだまだ若者であったので,Gパンを買いに専門店に行く。自分の太股が入るGパンを買わざるを得ないのだが、太股が通るGパンは、ウエストがぶかぶかで、拳が3つ4つ入るくらいの状態であった。

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ブルーシートのカバーを

 Gパンをはいて世間を闊歩するのだが、どうにも格好がつかない。太股同様サッカーで鍛われたヒップもかなりのもので、ウエストが細いだけに、おそらく、そのシルエットは、色っぽい女性のウエスト・ヒップだっただろうと想像できる。これは、当時の私にとって恥(はじ)以外の何ものでもなかった。

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いただいてきた肥料袋

 そんな私の太股が、あの55歳の頃、急に細くなったと感じられた。これならおしゃれなあの細身のズボンもはけるに違いない。私の長年の夢が、今、叶おうとしていた。何年かは、おしゃれな細身のズボンを楽しむことができた。我を見よ。180cmオーバーの巨躯(きょく)で細身のズボンをはけば、これは、客観的に見れば「かっこいい」に決まるしかない。

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まず短冊に切る

 しかし、世の中そううまくはいかないのである。還暦を過ぎる頃、私は、細身の足をキープする代償に、ソファーから立ち上がるのに手の力をプラスしなければ、立つことができないという現実に直面した。

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無限に詰め込む

 後に了解したのは、還暦を境に、我々人類は?、全盛時の筋肉の60%〜70%の筋肉になりさがってしまうという統計的な傾向であった。筋肉もさることながら、例えば、膝関節の頼りなさは、還暦を過ぎて確かなものになった。


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傘釘で最後の一方を閉じて完成

 おそらく、そのような傾向は、個人差があるに決まっている。関節がだめなら、筋肉があるさと考え、私のスクワットは、1日2,000回を越える力を獲得した。しかし、それでも、何もせずに1日、2日を経過してみると、筋トレで獲得した筋肉を上回って筋肉は、減り続ける傾向を示すものだということが何となく感じられるし、それが定めのようでもあるようだ。

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個性様々なクッション椅子となる

 私が作った椅子に、座布団を敷いて座って過ごしていた地主さん、不思議に感じたが、最近、私のお尻も、「お尻かじり虫」にかじられ始め、畑用の小さな椅子にクッションが欲しくなってしまった。いらなくなったブルーシートをカバーにして、中のクッションには風の国でいただいてきた肥料袋を切り刻んで投入、ちょっともこっとしたクッション椅子ができあがった。風の国に3個、タマネギ先生のHANAKOさんに1個をプレゼントした。
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2015年12月03日

498 秋 旅? 4−4 ( 決定版 )

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ホテルのクリスマスリース

 若い2人は、親しい友人たちとの2次会に出かけ、我々1族も新郎の父母(姉夫婦)の緊張も解けて、1族だけの2次会に向かう。朝、青葉城を目指した一行は、ホテル横のショッピングモールが、これほど近いと言うことを認識しておらず、夜の街に繰り出した。


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ホテル玄関の電飾

 信号を1つ越えるともうショッピングモールが広がっていた。我が相棒の誰かさんは、持参したバッグの不具合を補うべく新しいバッグをショッピングモールで購入したらしい。


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ホテルとイリュミネーション

 たまたまセールの期間中で、バッグは安く手に入った。おまけにくじを引く栄誉を得て引いたところ、この北の街で誰かさんは当たりくじを引いてしまった。景品は、秋田小町(5kg)、見知らぬ土地で不思議な偶然に出合ってしまった。

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秋田小町ゲット

 夜のショッピングモールは、既に閉店しているお店が多かった。その中に当たりくじの掲示がしてあるバッグを売っていた店に到達、物好きにもその撮影に挑み成功してしまった。これも旅の小さな思い出の1つになった。


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ホテル前のイリュミネーション

 新郎の父(お義兄さん)は、緊張からこの2次会でアルコール解禁と聞いていたが、店で頼んだのは、ノンアルのビールだったので、私は密かに心の中で微笑してしまった。ひとしきりの1族の宴の後、再びイリュミネーションで飾られたホテルに帰り、最後の夜の眠りについた。


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帰路は雲ばかり

 帰路の空の旅は、天気の下り坂を反映して、とうとう松山に着くまで眺めは、雲の波ばかりであった。おそらく、もう2度と親子4人でこんなに遠くまで旅することはないだろうなと思いつつ幸せのお裾分けを土産に無事に愛媛の地まで帰ってこれたことに感謝した。

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誠屋の坂村真民碑

 松山からの帰りは、弟の車のパンク騒動はあったものの、風の国経由で、信号のほとんどない長浜回りのスムーズコースを帰ってきた。途中、長浜の知る人ぞ知るパン屋さん(誠屋)で人気のパンを購入して無事鬼北の地に帰り着いた。長い長い旅は終わり、鬼北にも、冬の寒さがもうすぐやってくるだろう。 
posted by tentijin at 00:19| 愛媛 ☔| Comment(4) | 随想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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