2016年01月31日

515 小 屋 (  柱の製作と桁(けた)  1 )

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崩壊寸前の雪だるま

 先日降った雪で作った雪だるま君は、小学生に見てもらう頃には、哀れになりすぎていた。なぜなら、学芸会があった様子で、土日が学校、月火が振り替えの休みとなったからであった。畑に残った雪で途中手直しはしたが、お天道様の力は偉大でこの有様であった。

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端っこを直角に切る

 雪の後の晴れ間を利用して、完成した土台の上に立てる柱の製作に取りかかった。柱の長さは、315cmプラス上下のほぞの長さが5cmずつなので、計325cmになる。9cm角の細い方の材料を使う。まず、材料の端っこを直角の曲尺(かねじゃく)で測り、側面に対する直角になる線を周りに引いていき、例の仮枠ノコで引いて切りそろえる作業から始めた。

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ほぞ部分を切り抜く

 次に5cmの深さになるほぞ部分をけがきして、切っていく。単純な作業だが、手作業なので、けっこう時間がかかる。すぐにあきて嫌になってしまう性格のせいか、1日1本が私のペースである。

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最後にほぞの角を取る

 ほぞには2種類あり、土台の途中に立つ柱は、9cmの材料一杯一杯にとる。それに対して、土台の端っこに立つ柱は、2cmの外側を除く7cmのほぞ幅となる。ほぞの端っこの角は、ほぞを入れる時、スムーズに入るようにノコで切り落としておく。

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このほぞ穴に入るか?

 柱の両側のほぞができても、安心してはいけない。材料の1辺は、例えば細い方でも9cmちょうどにはなっていない。測ってみると、9.1cm〜9.5cmの間であるようになっている。隣の先輩に聞いてみると、表面をかんながけする分の余裕もあるんだと教えていただいた。ほぞとほぞ穴が、同じ寸法に作ったはずでも、手作業の誤差が必ず出てくる。土台のほぞ穴に通してみる必要がある。

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横にした土台に柱を差し込み確認する

 部品が全て完成して組み立てる時に、ほぞが入らないということが判明したら、せっかく組み立てる気になっているのに、がっくりきてしまうに違いない。柱のほぞを作る作業は、土台に掘ったほぞ穴に入るかどうか確認する所までをその作業と考えておくのが賢明な気がする。その際、土台を横に向けて柱を差し込む。なにせ3m以上ある重たい柱を立ててしまうと、いつ私の頭に落下するか分からないのだから。

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ベニヤで作った繋ぎの型

 さて、柱が下の土台のほぞ穴に入ることが分かれば、次は、柱の上に来る桁(けた)などの材木を加工しなければならない。柱に繋がる桁や横木(梁など)は、隣の先輩に聞くと、10.5cmの方の太い材料を使うのが普通であると教えていただいた。4m幅の小屋で、軒の部分を1mとることにしたので、桁の長さは、計6mとなる。4mしかない材料なので、繋いで6mにする必要がある。その繋ぎ部分の切り組みをやはり隣の先輩に聞いて、ベニヤ板で作ってみた。次回から北側の桁の製作に入る。
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2016年01月28日

514 小 屋 ( 土台・・・完成!設置 )

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進行中の材料と作業台

 いつもの寒い冬がやって来たが、雨や雪の合間を縫って小屋の切り組みをぼちぼちと進めて5本の土台が完成した。一辺がほぼ4mの小屋なので、土台の材木も4mのものが3本、後の2本は、は中二階の一辺と入り口側の一辺なので、芋壺への階段や入り口の部分を除いた長さなので、どちらも2mちょいである。ちょっと背の高い作業代の上でほとんどの作業をする。

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雨露はブルーシートで防ぐ

 とにかく、のんびりした進行なので、作業は、雨や雪を考えてできるだけそれらを防ぎながら進める必要がある。対策を考えないと、気まぐれな作業は、何ヶ月も雨や雪の攻撃を受けてしまう。そこで思いついたのは、ブルーシートを被せておくという方法である。4mの材料なので、シートは5mのものを購入した。隣の家に置かせてもらっている材料と、作業台の上に置いている切り組み進行形の材料と、切り組み加工を終わった材料とに被せる必要がある。

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土台を並べてみる

 シートは、1枚1,500円くらいで、3枚購入した。結構高いが、必要経費なので仕方がない。ある晴れた日に、やっと完成した土台を並べてみた。アンカーボルトの通る穴の位置を確認する。一応、アンカーボルトも締めて基礎にしっかりと止まるか確かめてみた。

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南から見る

 土台同士の接続は、例の扇形の凸と凹である。基礎の上に描いたケガキの通りに設置できるかも確認する。南側の土台の端っこが両方とも凹の部分になる。したがって、まず南側を設置する。

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南と東西を設置

 南側にかみ合うように、東側と西側を設置する。何とかうまくかみ合い、アンカーボルトも締めて見ることができた。

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全て設置して上から見る

 次に中二階の一辺と入り口の一辺である。この2本は、西側と接続する。同じように接続部分は、西側の土台に凹の部分を2つ作り、そこにはめ込むように2本を設置する。全ての土台は、うまくかみ合い、設置することができた。

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完成したものにもシートをかける

 最後にまた、ボルトを外し分解する。切り組みのできあがった材料を基礎の中央に置き、ブルーシートを被せる。その横の作業台にも被せる。全ての部品が完成するまでは、この方法で雨露を防ぐことになる。まだまだ道のりは遠い。
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2016年01月25日

513 寒 波 ( ちょっとドライブ )

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畑の雪きらきら

 10年に1度の大寒波らしい。朝起きて畑を見ると、銀世界と言ってよい景色になっていた。しかし、私が体験した寒波の中でいうと、今回は、けっこうランクは下の方である。

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興野々橋辺り

 それでも久しぶりの雪なので、おもしろがって「ちょっとドライブ」に出かけた。方向は山に向かう。と言っても、日吉方面である。三島時代に日吉以上に三島に積雪した年が1度だけあった。通常は、日吉の方が雪は多い。その年には、結局、雪がやんだ時、三島では、深いところで1mの積雪があり、翌朝は、霧氷のような木の枝が見られ、満開の桜のようで美しかったのを記憶している。

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日吉の雪

 人生で初めて大雪を体験したのは、小学校4年生の時で、一晩に40cm積もり、道路も畑も見分けがつきにくくなり、南の国は雪に埋もれた。バスも運休になって、もちろん、学校も休みになった。その日は、子供の天国が出現し、一日雪遊びをして過ごした。

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三島の雪

 今の子供たちは、人数も少ないが、雪を見てはしゃぐ度合いがずいぶんと少ない気がする。もう亡くなってしまったが、義理の兄が、高さ2m以上ある大仏のような雪だるまを作ってくれた。我々近所の子供たちも、スコップを持って集まり、雪を集めるお手伝いをした。セピア色をした写真の中で、その雪だるまの太股に腰掛けた私が、姪っ子たちと笑って写っている。

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2日目は青空も

 近所の子供たちの親分格だった私は、午後からは、自分の作品が作りたくて、姪っ子を雇い、小さな30cmほどの雪玉を無数に作り、ピラミッドのように積み上げていく。夕方になって、高さ1m30cmほどの「かまくら」ができあがった。体の小さな姪っ子をその中に押し込み、悦に入っていた。

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最後の雪で雪だるま

 今回の寒波は、昔の寒波に比べたら、まだかわいいような積雪である。駐車場の雪かきをしなさいという至上命令が下り、毎日サンデーの私が未明から活躍した。1日目は、まだ、朝には吹雪いていて、いくら雪かきをしても、すぐに真っ白になった。

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とぼけた男は溶けそうだ

 2日目は、あまり降らなかったが、合計20cmは降ったように思う。2日間で都合6回の雪かきをした。高齢化しているお隣さんも、雪をかいてあげた。最後は、明日の朝、通学していく子供たちに見せたくて、雪だるまを作った。ちょっとずんぐりむっくりの雪だるまになったが、昨年焼いたウバメガシンの炭でとぼけた目鼻を付けてやった。子供たちは、微笑(ほほえ)んでくれるだろうか?
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2016年01月22日

512 時の流れ ( 祝 米寿 )

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春近し?

 大寒波がやってくるというニュースを聞きながら、暖めた部屋でくつろぎながら、ふと、いったいあれは、何年前のことだったんだろうと思い、計算をしてみた。

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冬空

 今はまだ、2016年の私の誕生日には至っておらず、還暦を過ぎて5年が終わろうとしているのだから、あの私が中学生だった頃は、な・な・何と、信じられないが、52年程前ということになる。これは、へたをすれば、人の一生ほどの時が流れたということである。

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まだ固し

 この冬の寒の盛りに、私が中学生の頃お世話になった方を含め4名の大先輩方に米寿のお祝いをお届けにあがるお役目をいただいた。高月山が白く雪化粧した寒い日だった。

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ある朝

 初めにお伺いしたのが、中学生の頃、お世話になった方である。行きながら、とても不思議な狭間(はざま)に迷い込んでしまったような気がした。訪問すると、、奥様に言われた。「しっかり昔話をしてやってください、しゃきっとするように。」と。しばし、和やかにお話をして、お元気そうなお顔を拝見して安心して、おいとまをした。

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12月から開花

 時は移り、私が30代前半を過ごした松野時代のボスの奥様を、山を越えて、次に訪ねた。

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雪の朝

 ボスのお顔も拝見できると思って行ったのだが、ボスは、デイサービスに行っておられ、留守であったので、お顔を拝見することは叶わなかった。奥様によると、ボスは、もう当時のことを覚えておられないとのことであった。

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一方でやはり春も

 いつもやんちゃな逸話(いつわ)を残しながら時を過ごしてきた私だが、今日迷い込んだ狭間で感じたことは、ほんの偶然なのかもしれないが、本当にたくさんの方々に助けていただきながら、よくもまあ自分もここまで歩いてこれたものだ。でも、まだまだ今日訪ねた大先輩方の足下にも及ばないなあ、という思いを強くしたということだ。また、人間の偉大さのようなものも感じる1日となった。
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2016年01月19日

511 お手伝い ( 農繁期突入 2 )

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依然、櫨の紅葉

 1月に入っても、櫨(はぜ)の木の紅葉は、散りもせず、その赤を更に深めている。何だか日本の四季が無くなっていきそうな勢いを感じる。そんな中、ポンカン採りに始まった風の国の農繁期は、遅れがちの作業のうちにも1つスライドして伊予柑採りになった。

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木に生えた苔

 この日は、泊まり込みでのお手伝いで、1日目はゆったりと、お昼頃に風の国の買い物を済ませて到着した。作業は、午後、雨上がりでもあったので、倉庫の仕事のお手伝いということになった。私は、倉庫横の畑で末期を迎えている蜜柑の木を切ってしまうお手伝いをした。根虫などが入って弱った木には、必ず木の幹や枝に苔(こけ)が生えている。元気な木には生えていないので、私のような素人にも、蜜柑の木の最後の未来が見えてしまう。

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2日目の朝陽

 お正月に見損なった風の国の初日の出、この日は、太陽が海から少し上がったところで、美しい朝陽を天使の階段付きで見ることができた。快晴ではないが、2日目は、畑での作業ができそうだ。

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収穫前の伊予柑

 倉庫横に1段だけ伊予柑が植えられている。ここはモノレールがないので、全て人力で収穫しなければならない。体力の衰えたお父さんは、あまりこの伊予柑の収穫をしたくなかったのだろうと思われる。我々がお手伝いに伺った時なら、勢いで収穫ができる。階段を使って収穫した伊予柑の入ったキャリーを運ぶのはお父さんの役目だが、1度キャリーごと転びそうになった。来年は更に力仕事が困難になるかもしれない。

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病気の伊予柑

 伊予柑は、比較的きれいな状態であったが、所々に潰瘍(かいよう)と呼ばれる病気になったものもある。お父さんもお母さんも高齢化して、消毒の作業も難しくなっているので、病気になった実や斑点の入った実が増えていると思う。致し方ないことだと思う。

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闖入者

 私たちは、伊予柑を摘み取る役目であったが、途中、思わぬ闖入者(ちんにゅうしゃ)があった。この1月の冬の真っ盛りに飛び出して来たのは、バッタであった。種類は分からない見たこともないものだが、間違いなくその姿はバッタであった。これもまた、温暖化の証なのであろうか。

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風の国の夕暮れ

 午後4時を回ると、太陽は、梶谷鼻(かじやばな)の向こうに沈んでいく。朝日は早くから、八幡浜方向から昇る。風の国では、午後は太陽が早くから山の向こうに移動するので、陽は陰る。今日の作業もここらで終了らしい。
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2016年01月16日

510 時の流れ ( 振り出しに戻る )

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遍照院山門

 アクア号が私の手からするりと滑り落ち、私が愛用する車は、軽のワゴンタイプのトラックになっている。アクア号で自由に旅に出ることはできないが、肥料を運んだりする私には似つかわしいかもしれない。その私が久しぶりにアクア号での遠出のハンドルを握る。

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観音様より本堂を眺む

 目的地は、今治市菊間町にある厄除け大師「遍照院」というお寺である。厄払いと言えば、徳島県にある23番札所の弘法大師厄除根本御祈願所だという「薬王寺」が有名である。薬王寺を目指すとなると、四国横断になり、お爺ドライバーには、ハードこの上ない。

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本堂の厄除け表示

 結局、「遍照院」を目指すことになった。「遍照院」は、弘法大師42歳の折に自らの厄除け祈願をしたというお寺と伝わっているようだ。高速道路を走ることが嫌になっている老体にむち打って出かけてみた。

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祈祷の始まり

 ナビは、松山手前伊予インターで高速を降りるよう指示している。今治なのにそんなはずはないと、通過してしまったが、SAでよくよく地図を眺めて見ると、松山と今治の境に菊間町が位置していることが分かった。海沿いの道を行けば、松山から行く方が近いのだ。

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天蓋?

 広い境内を持つお寺ではないが、なかなか感じはいい。何より駐車場の交通指導のおじさん、受付係の方々、お坊さん、などなど関わっておられる人々の人数がかなりたくさんおられる。厄払いの祈祷料が1人5,000円と聞いているが、1回に40〜50人の人々が本堂で厄払いをしていただく。30分おきに人々は入れ替わる様子なので、かなりの人数になるだろう。1〜2月の時期がその厄除け祈願の時期らしいので、檀家の方々など、ボランティアも含め、人件費も、また、多くかかることだろう。

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護摩が焚かれる

 本堂内には、10人ほどの僧侶が、それぞれの分担で配置しておられる。中央では、護摩が焚かれ、室内は煙に包まれる。後方に座っている厄除けをしてもらう方々の名前が読み上げられ、火は勢いよく燃え上がる。一瞬、ゆらぐように別世界に入っていったような気がした。

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最後に教典で厄落とし

 御祈祷が終わり、最後に教典を持った僧侶の方々が、厄払いに来た方々の頭から背にかけて叩いていただき、厄をはらい落とす。付き添いできた私も、それを体験して、日頃信仰心のないわたしではあるが、すっきり晴れ晴れとした気持ちになった。還暦を迎えた相棒の少しずつ歳を刻んでいくその横顔をちらりと見て、折り返し地点を過ぎたが、もう少し頑張らねばと、密かに決意した。
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2016年01月13日

509 小 屋 ( 土台・・・ほぞ穴 )

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高価!角ノミの刃

 小屋の材木切り組み作業で、最も大変な作業の1つが、ほぞ穴開けである。私は、中学時代の技術科授業でほぞ穴を開けた経験から、簡単な作業だと思っていた。しかし、やり始めてみると、思わぬ困難に出くわした。まず、私の記憶にある角ノミ機の刃がどのホームセンターを回っても、一向に見つからなかったということから始まる。

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いただいたボール盤ドリル

 専門店を探し、やっと見つけた角ノミの刃は、何と8,700円という高額であった。なければ、作業が進まないので買わざるを得ない。次にその刃を取り付けるボール盤(設置形のドリル)が必要になる。これは、幸運なことにいつも野菜をお裾分けしているYさんが、野菜のお礼もかねて「もう使わない。」からといただいていた。しかし、残念なことに、角ノミの刃という特殊なものを取り付けることができるような構造にはなっていなかったため、大枚8,700円の角ノミの刃は、無用の長物となってしまった。

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ノミで切り目を

 作業は、まず、柱の適正な場所にケガキすることから始める。ケガキされたほぞ穴の線に沿ってノミで切れ目を作っていく。

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少し掘る

 それに沿ってその深さまでノミで木を削り取っていく。ほんの少しでも段差を作っておく方が後の作業がうまくいく気がする。

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ノミとヤスリ

 使うノミは、ノコ同様、プライドなど皆無の私なので、一番安価なプラスチックの柄が付いたものを以前から使用している。いくら安物でも、作業にとっては、切れるノミである方がいいに決まっている。切れるように砥石で研いだり、グラインダーで研いだりしてみたが、うまくいかない。結局、小さなヤスリを買ってきて研いでみたら、一番良い結果が出た。

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外側から穴を開けていく

 少し段差を付けた材木にいただいたボール盤で、角ノミの刃の中にあるドリルの刃でくまなく穴を開けていく。

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限界までドリルで穴を開ける

 ほぞの長さが5cmなので、ほぞ穴の深さも5cm必要だ。ドリルの刃を最大降ろしても、5cmに到達しない。仕方がないので、ボール盤での作業はここまでとする。


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周りと深さをノミで

 後は、手作業でほぞ穴を完成させるしかない。穴の周りのドリルで掘れなかった部分をノミで削り落とし、穴の深さが足りなかった1cm強の深さをノミで掘り進めていく。

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ほぞ模型でほぞ穴をチェック

 仕上げには、ほぞ部分を2種類柱の材木で作り、それを差し込んでほぞ穴がうまくできているかどうかを確かめる。このほぞの模型が奥まで入らなければ、ほぞ穴の深さが足りないということになる。きつくて入りにくければ、縦横どちらが狭いのか見分けて削る。模型がぴったり入るまで調整をして完成となる。

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完成した土台の1本

 土台は、1辺が約4mの材木でできており、角角には柱が立ち、その間にも最大で3本柱が立つ場合もある。1つでもひーひー言いながらほぞ穴を開けている私なので、4〜5つのほぞ穴を開ける作業では、1日土台の材木1本を作るのがやっとこさである。どたばたしながら、5本の土台を1週間かけて仕上げた。
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2016年01月10日

508 小 屋 ( 土台・・・木組み )

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柱を切る

 2016年の正月もあっという間に過ぎ、七草も終わって、皆さんは、戦闘モードに入っている方が多いことと思われる。私はサンデー毎日なので、至ってのんびり過ごしている。人生が終わるまでに何とか小屋を完成したいので、ぼちぼちではあるが、作業を進めている。しかし、私が小屋作りで使っているノコと言えば、仮枠ノコと呼ばれている折りたたみのノコたった1本なのだから、横着極まりないと言えるかも知れない。

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けがき

 購入した材木は、9cm角×4m(1本 1,200円)と10.5cm角×4m(1本 1,600円)であるが、現在格闘している土台は9cm角の柱である。これを直角に切るには、ちょっとしたコツがある。当然4面全てに曲尺(かねじゃく:直角定規)でまず線を引く。これを一方からノコで引き続けると、必ず曲がってしまい。きれいに切れない。4面を少しずつ回しながら切り進めていくとうまくいく。

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要らない部分を落とす

 けがきも、大工さんの使う墨付けで描くのが本当なのかも知れないが、実力の伴っていない私は、墨付けは持っているのだが、格好を付けずに赤ボールペンで描いている。土台は、基礎の上に置く形なので、下に下がることはない。四方の角々の仕舞いには、扇形の凸凹の形で木組みすることにした。いろいろ方法はあるようだが、私にできそうな方法だと思う。

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扇形の出っ張りができる

 まず、引っかける扇形以外の部分を切り落とす。切り残した部分を今度は、扇形に加工する。なぜ扇形なのかというと、扇形であれば木組みが抜けることを防げるからだと思う。

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出っ張りを扇形に切る

 何だか子供だましのような細工にも見える。扇形の細くなった部分が折れそうな気もする。しかし、先人の編み出した知恵を信じるしかないだろう。

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組み合わす

 四方の角っこには、柱が立つことになるので、柱を差し込むほぞ穴を開けなければならない。材木の途中に開けるほぞ穴は、材木の幅(9cm)いっぱいいっぱいのほぞやほぞ穴を使うが、角は、2cmの穴を開けない部分を残さなければならないので、その部分を2cmとり、残りの7cmのほぞやほぞ穴を作ることになる。

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間柱の溝

 このほぞ穴の横のスペースに扇形の部分とかみ合う穴を開けて、そこに扇形をはめ込んで角の木組みが完成する。柱が立った後に、柱と柱の間に立てる間柱(まばしら)の溝も加工しておく。これで土台の加工が1段落となる。
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2016年01月05日

507 お手伝い ( 農繁期突入 1 )

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エンドウの花

 過ごしやすいのだが、よくよく考えてみると、少し恐ろしい気もする今年の冬の暖冬ぶりである。風の国に行ってみると、まだ、背丈は低いのだが、エンドウの蔓が伸び、可愛い花が咲いていた。柑橘たちの状況も、おそらく例年以上に進んでいる気がする。

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がっかり曇り空

 毎年、出かける風の国への年始の挨拶は、鬼北で年を越し、初詣を済ませて1日に出かけることにしている。紅白の途中でダウン、熟睡モードに突入、初詣は叶わなかった。仕方がないので、地元の氏神様には不義理をして、風の国詣の途中に仏木寺詣ということになった。風の国は1日は晴天、見事な初日の出だったらしい。夕方出かけた我々は、見損ない2日の天気はぱっとしない曇り空であった。

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ブリの切り身

 年末に親戚漁師のM君から、頭をノコで切ったという巨大な1mオーバーのブリが届いたのだそうだ。M君が自ら捌(さば)いてくれたらしい。年末から来ていた弟たち家族4人が御馳走になったと思うが、我々が訪ねた1日の夕方にも、まだ、ブリのあら炊きも、たくさんの刺身にできる切り身も残っていた。

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巨大ブリの背骨

 1泊の予定でやって来た我々だが、この夜は、いつもお父さんやお母さんがお世話になっているS君が飲みに来た。息子たちは早々に引き上げ、最後は、私とS君の酒盛りになった。とんちやユーモアのあるS君との酒宴は楽しく、ビールは終了、金粉入りの冷酒も1本が開いてしまった。柑橘の消毒を手伝ってくれたり、市場まで柑橘を運んでくれたり、いつもお世話になっている好男子である。

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正月料理も

 彼は、以前、都会で働いた後、風の国の農協に勤めていた。母親が亡くなってからは、自家の密柑山の管理もあり、農協を辞めて農業に専念している。方々に愛人(実は男の友人、飲み仲間)がいて、各地の土産が届いたりもする。

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握りやいなりも

 彼の自宅には、飲みのための庭もあるらしい。私は、その庭に飾るトリスウィスキーのキャラクターを石に描いてくれ、と頼まれている。日頃お世話になっているS君と膝をつき合わして飲むことができて有意義な正月になった。

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いただいたブリ2本

 お手伝いは2日から、クロチの今津ポンカンを午前午後で20キャリーくら取ることができた。何と途中でS君が助っ人に来て一緒に摘んでくれた。昼に帰ってみると、S君からはサザエ、庭の流しには大きなブリが2本届いていた。聞いてみると、これは、漁師のM君が我々用に持ってきたらしい。当然、我が家だけでは消費できない量なので、15時過ぎ、早めに作業を切り上げて帰途についた。農作業は年を越したこの時期から本格化する。

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解体した頭

 鬼北の家に帰って、3時間くらいかけて苦労して捌(さば)く。あまりにも大きいので、半分に割った頭だけで、まな板がいっぱいになった。隣のおっちゃんが頭大好き、ブリ大好きなので、刺身用の身と一緒に1番に配った。S君にもらったサザエなどもつけながら、合計6軒にお裾分けに配った。当然、我が家もブリづくし、刺身にアラに、照り焼き、握り、カマのあぶり焼き、堪能した。大感謝である。
posted by tentijin at 09:18| 愛媛 ☁| Comment(7) | 随想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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