2016年04月29日

542 無呼吸症候群 1

1.jpg

不吉な夕焼け

 波乱含みの空のように、子供の頃の私は、昼間も波瀾万丈(はらんばんじょう)だったが、夜は夜で、かなりの「歯ぎしり小僧」だった。また、力もないくせに負けたくない性格だった気もする。睡眠中だから、もちろん自分で自覚することはなかったが、遭遇した周りの人には強烈な印象だったのだろうと思われる。あまりに激しく歯ぎしりを噛むので、知らない間に、あるいは一夜にして、私の歯は、摩耗(まもう)して形が変わるほどであった。

2.jpg

アザミ

 爽(さわ)やかな人生の草原を抜け、人間は、ピークを過ぎると、1年に1%ずつ筋肉が失われていくらしい。40代中頃、大手術をして1ヶ月半入院、リハビリ期間も含めると、2ヶ月を棒に振ったことになる。神経がらみの病気だったので、その後もしびれた体に憂鬱となり、半年から1年の間、運動から遠ざかった。おそらく、それが、筋肉の退化に拍車をかけるきっかけになったのだろうと思う。

3.jpg



 五月晴れとはいかないまでも、いつしか空は明るさを増していき、少しずつ運動を再開し、歩いたり、ジョギングをしたり、ダッシュをしたりしてみる気分にまでなっていったが、まじめにかけっこをして、中学生の女子に負けてしまった時には、かなりショックを受けた。今では、もうダッシュさえできなくなっている。まあ、動くだけ良いかと自分で自分を慰めてみる。

4.jpg

水面(みなも)の新緑

 変わらず季節は移り、新緑に埋もれる明るい季節が訪れても、歯の形が変わるほどの歯ぎしり小僧は、今では見る影もなく筋肉を失い、とうとう睡眠中、口を開けたまま眠るようになった。これが、なかなかに苦しい。人間は、鼻呼吸している間は、そのような苦しみからは解放されているが、一度(ひとたび)口呼吸になると、未知なる苦しさを味わうこととなる。

5.jpg

空には既に鯉のぼり

 躍動する鯉のぼりのようなバイタリティーは、既に遥か彼方に置き忘れ、なすがままの人生に翻弄(ほんろう)される。目覚めている間は、意識があるので、たとえ衰えたあごの筋肉であっても、口を閉じて鼻呼吸して生活することができる。しかし、睡眠中は、意識を失い、衰えた筋肉は常に弛緩(しかん)しっぱなしで、口を開け、口呼吸で終始するという地獄の様相を呈することとなっている。

6.jpg

柿若葉

 同じような寝方をしているように思える風の国のお父さんは、睡眠時無呼吸症候群と診断され、空気が送られてくるマスクを付けて寝ておられる。私も心配になって、耳鼻科を訪れてみた。明るく輝く柿若葉の様子とは裏腹の予感の中、結果は、長い時で1分間呼吸をしていない時がある睡眠時無呼吸症候群であるというお墨付きをいただいてしまった。

7.jpg

地主さんにいただいたエビネ

 口呼吸で一夜を過ごして目覚めた朝は、最悪の気分になる。何より口の中は、カラカラに乾ききってそのカラカラが喉の奥まで支配している。半日、下手をすると一日中、そのカラカラ感から解放されないこともある。口から直接肺に入った空中の悪魔を含んだ空気が特別の何とも得体の知れない痰(たん)となって奥の方で絡(から)まって不快で憂鬱な時間を醸(かも)し出す。とうとうそれが、耳鼻科に行こうという私の決心を産んだ。 
posted by tentijin at 08:19| 愛媛 ☀| Comment(4) | 随想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月26日

541 トマトハウス(遅ればせながら)

1.jpg

牛舎のヤギ君

 宇和島の先輩に教えていただいて、時々、三間の牛舎に牛糞をいただきに出かける。彼は、1〜2年前から飼われ始めたヤギ君であるが、角の様子やらから雄なのかなと想像している。牛舎の主人の趣味で飼われているのかもしれない。

2.jpg

いただいてきた牛糞

 肥料は、一袋が150円ほどで販売している所もあるが、ここは、出向いて行って勝手に持って帰れる人には無料で提供してくれている。しかし、半年ほど前から牛の数が激減して、当然、牛糞も10分の1ほどの量になっている。行っても空振りが多くなった。

3.jpg

柱の切れ端も肥料に

 趣味の野菜作りなので、肥料がもらえなくなれば、そこが止め時かもしれない。小屋の部品を作っていると、柱の切れ端が出るので、貯めておいては畑で燃やす。石灰肥料の代わりになる。引いた草を山にしておいてできた土は、最上級の肥料になる。

4.jpg

土壇場で大失敗

 肥料といえば、化成肥料も重要で、即戦力にはなる。窒素、リン酸、カリの配分が、14:14:14というものを使っている。玉ねぎの追肥にこれを使って大失敗となった。昨年は早植えで塔がたって失敗したが、遅く植えたのに、今年も塔がたってしまった。詳しい方に聞いてみると、窒素分が多い肥料は、葉っぱばかりが大きくなり、だめなのだそうだ。球が小さく塔がたったのも、どうやらそのせいらしい。勉強にはなったが、手痛い代償を払った。

5.jpg

丈夫そうなホウレン草

 葉っぱを太らすということでいえば、ホウレン草やレタスは、短期決戦で少し多めの化成肥料でめきめき太ることが分かった。私が借りている畑は、あまり耕作されていなかった畑なので、元々の土は、痩せているのかもしれない。

6.jpg

ハウスのガラクタ

 ハウストマトを今年も作りたいので、ハウス内のガラクタを、反対側に移動して耕作するスペースを作った。この作業は、4月初めの作業なのだが、今年は、ここへきてやっとその作業に入れた。

7.jpg

トマトスペース

 6年目を迎えてビニールが老朽化して穴が開いている。夏の間に修理をしなければならない。トマトは連作を嫌う作物なので、土壌改良剤をまき、トマトの好きなカルシュームを含む石灰を多めに混ぜた土づくりをしなければならない。草を山にした土が力を発揮すると思う。

8.jpg

ミョウガの芽

 ふと見ると、畑の片隅に植えているミョウガが季節を忘れずに芽を出していた。季節の作業に遅れを取ってだらしがないのは人間だけで、野菜や植物は、人間よりも、はるかにうまく時の波に乗っているようだ。
posted by tentijin at 07:23| 愛媛 ☁| Comment(4) | 随想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月22日

540 トマトハウス(気づけば後手に)

1.jpg

発芽したタラの芽

 トマトハウス主人として山菜を楽しむというものが、心中にある。タラの芽は、3月から準備する。以前は山に行ってタラの芽を採取してきた。タラの木も年々生長するするので、とても手の届かないところに芽が出てくるようになる。

2.jpg

まずネジ釘を刺す

 タラの芽の天ぷらを楽しみたいという御仁は、私の他にも多い。芽が出て採取するまで、早い者勝ちになってしまうので、この何年かは栽培することにした。これなら間違いなくタラの芽を手に入れることができる。

3.jpg

次にヒモを張る

 方法は、3月中にタラの枝を集めてくる。タラの木は、鋭いとげとげがある。剪定バサミで切ってトゲを取り除く。枝は、30cm程の長さに切って、天地を逆さまにしないよう気をつけて水耕栽培をする。自然の中で1つしかその芽が取れない枝でも、この方法なら、10個くらい取れることもある。

4.jpg

水を張って枝を置く

 発泡スチロールの箱の周りにネジ釘を刺し、ヒモを縦横に張ってその中に枝を置いて水を張れば完成で、そのまま時を待つ。4月の10日頃からタラの芽は生長して収穫可能となる。我が家だけでは食べきれないだけ取れるので、御近所に配って楽しんでもらった。

5.jpg

冬枯れのアスパラ

 タラの芽は、時を違えずにチャレンジしなければ、春を味わえない。小屋の製作と畑の両方にいそしんでいる今年は、畑は草だらけで、夏野菜の苗作りや今やるべき仕事は、全て、後手後手に回っている。昨年種を蒔いたアスパラも、哀れな状態になっている。

6.jpg

整備したアスパラ

 今年はまだ収穫できないとしても、何とかしたいので、やっと草引きを終え、支柱を立てて、網を張って整備、何とかなった。

7.jpg

コンニャク芋

 コンニャク芋も、寒さを避けて保存していたものを土に埋めておいた。

8.jpg

花芽出現

 4月になって、大きな芋から突然芽が出てきた。触ってみると、予想通りその芽は花芽である。そのまま花を咲かせると、芋は消滅してしまう。全て切り取って葉っぱが出るのを待ちたいと思う。やるべきことは山積みなのに、小屋を放棄することもできないので、農作業は、遅々として進まない。
posted by tentijin at 07:36| 愛媛 ☔| Comment(4) | 随想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月19日

539 光 射 す か ?

1.jpg

八重桜

 鬼北の空も、少しずつ夏の色に変わっていく気がする。最後の八重桜が咲いているが、どこか花の季節の名残感も漂う。本当に明るい夏空を望んでいるが、心の片隅に、まだ、少し不安がたたずんでいる気もする。

2.jpg

完成した夢二の絵

 少し暗い雨の日を選んで描いてきた夢二の絵も、もう、完成してしまった。雨はやみ、明るい光が射してくれればいいが・・・。

3.jpg

山菜

 気晴らしに近くの山に登ってみる。昔、桑畑だった山で、植林されていないのでワラビやゼンマイが生える。あまり熱心に山菜を食べる方ではないが、あげると喜んでいただく方がいるので、ありがたい。明るい空につながる山登りになって欲しい。

4.jpg

シャクヤクの芽

 あの女医さんに再検査をしていただき、その結果を聞く日がやって来た。空も穏やかなのだが、心は少し乱れている。前回悪性の組織は見つからなかった。今回は?という思いがある。庭には、いつの間にかシャクヤクの芽が出ている。未来の始まりで、目には見えない力がある。私にも力がほしい。

5.jpg

一人立ちした君子蘭

 ちぎれた君子蘭の茎が根を出し、とうとう花まで咲かせた。意外とたくましい力が、ひょっとしたら、我々の中にも存在しているのかもしれない。

6.jpg

花壇の白花

 あのかわいい女医さんが再検査をするということは、何かしらの可能性がある場合もあるのだろうと思う。再び異常なしであれば、どれほどほっとすることだろう。

7.jpg

庭のエビネ

 庭先のエビネ蘭にも光が射して輝いている。私も、輝かなくてもいいが、希望の光だけでも射してほしい。

8.jpg

輝くドウダンツツジの花

 かわいい女医さんの口からは、再び異常なしの結果が出たことが告げられた。できている物の大きくなるスピードが悪い結果と連動することがあるそうだ。100%安心ではないかも知れないが、心には光が射し、ひとまず安堵することができた。そして、半年後に再び彼女の顔を見ることができるという結果につながり、喜びが倍加した。 
posted by tentijin at 00:44| 愛媛 ☁| Comment(4) | 随想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月15日

538 九 島 探 訪

1.jpg

橋から九島へ

 九島には、恨みがある。石応にいた頃、フェリーで渡ったまでは良かった。その頃、乗っていたのが、エスティマだった。時計回りに島を回り始めたが、いきなり集落のはずれでクランクに遭遇。あえなくバックするしかできなくなり、島を一周するという野望は、あえなく、潰(つい)えた。

2.jpg

学校付近に植えられていた花

 今回は、その九島に橋が架かったのだから、これは行くしかない。まだ、島に桜の残るドライブ日和の日であった。ピクニック気分なので、九島の町中に行きコンビニ風の店で弁当を調達。島1周の道のりを尋ねてみた。

3.jpg

橋をくぐり逆時計回りへ

 やはり、予想に違わず、狭い道なので、お薦めではないとのことであった。賢者は、素直に聞くしかない。広い道は、逆時計回りの赤松遊園地方向にあり、途中まではUターンできる道であるとのことであった。

4.jpg

赤松遊園地前

 逆時計回りのドライブを楽しむしかなさそうだ。赤松遊園地が見え、更に進むと灯台が見え、その道のりには釣り客がたくさん竿を出している。あまり釣れているふうはない。釣り人にとっては、沖に近い島の裏側方面は魅力的なのだろうと思われる。

5.jpg

沖のひょうたん島

 途中、島のおばさんが貝掘りをしている姿も見かけた。広い道の終点辺りには、ひょうたん島が見える浜が現れ、視界が開けたので、島の裏側に来たように思う。

6.jpg

広い道の終わり

 広い道は終わり、通ってきた広い道は、県道313号であったことが分かった。その先は、軽四1台がやっと通れる狭い道になり、とても離合などできそうもない。2輪か徒歩で進むしかなさそうなので、軽四でやって来た今回も、1周は断念せざるを得ず、やむなく、港方面に帰ることにした。

7.jpg

段畑のレモン

 橋を渡った所に山の段々畑へ登る山道があった。そこに登って少し高い所からの眺めを堪能してお弁当でも楽しむことにした。春の日は、すこぶる長閑(のどか)である。上がってみると、段畑は、風の国とよく似た風景で、レモンの木も植えられていた。

8.jpg

小高島

 道はほぼ軽四が通くらいの道で、所々、離合できる膨らみが作られていたが、海側は、断崖絶壁なので、落下すれば大変なことになるに違いない。かなり高い所まで行き、時計回りに続く道を進むと、見慣れた石応堂崎と間の海に浮かぶ小さな島の列が見えてきた。小高島である。この風景を見て、やっと私も満足した。慎重にUターンして橋に戻ることにした。

9.jpg

段畑から橋を見る

 以前来た時も、島の人々は、小さなコミュニティーに暮らしているので、例えば、私が島の人間でないのは、一目瞭然の様子であった。島にある車は、格段に増えている気がした。橋ができた以上、来る者を拒むことはできないと思うが、島の人たちは、便利さと引き替えに不安をも手に入れたかも知れない。今回も目的を果たせなかったので、次回は、2輪を調達して、1周したいものだ。 
posted by tentijin at 00:19| 愛媛 ☀| Comment(4) | 随想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月11日

537 ついに花旅へ ( 仁淀へ向けて )

1.jpg

瓦絵

 我が家には、花がないので、4月には、瓦に描いた花を飾ることにしている。しかし、どんなに頑張っても、自然の中の花にはかなわない。

2.jpg

市越の池

 まだ、雨に当たっていない市越公園の花を、散歩の帰りに見に行った。ここは、池の水がいい色をしているので、時々、撮影に行く。95分咲きくらいでしょうか?明日こそ満開という日に雨になり、花旅をあきらめていた。

3.jpg

役場裏の奈良川

 しかし、翌日、雨が上がり、幾分散ったとはいえ、まだ大丈夫と判断した瞬間に、むらむらと旅心が燃え上がり、11時過ぎに出かけてしまった。まずは、役場裏の奈良川沿い。川の両側がまだまだ美事だった。

4.jpg

檮原へ

 旅は、日吉から197号線で檮原に向かい、33号線を目指して山の中の国道を走る。1時間ほどで、33号線に出てそこから面河川を下る。仁淀川は、まだ、愛媛を流れる間は、面河川なのだ。

5.jpg

私の好きな桜坂

 その面河川沿いの愛媛の地に、私の好きな桜坂がある。正式な名前は分からない。何とも言えない風情がある。我が愛媛の地に。

6.jpg

花筵

 そこで、1つ目の心の絶景に出合った。条件がそろわないとなかなか見られない光景だ。高知に近い分、桜も進んでいるのだと思う。昔風の雅(みやび)な言葉で表現すると、「花筵(むしろ)」という。散り敷いた花びらの筵だ。どこかで出会えるかなと思いつつやって来たので、1つ満足した。

7.jpg

大渡ダム

 少し下ると、高知県に入り、川は仁淀川に名を変える。仁淀ブルーの水を満々とたたえた大渡ダムの周りには、たくさんの桜が植えてあり、この時期本当に見所がある。青い水をバックに咲く桜は、印象深く美しい。

8.jpg

花と川舟

 更に下ると、春の営みを始めたのか、川舟も漁をしている。典型的な川の風景であり、桜とのコラボでも季節を楽しめる。

9.jpg

レンゲ田

 15時30分を越えた所で、帰路に向かった。仁淀川沿いを走る。愛媛にはもうあまり見かけなくなった。レンゲを植えた田んぼが、高知には、まだ、残っている。子供の頃、寝転がって天を仰いだ気持ちよさを思い出す。何と17時過ぎには、家に帰り着いた。

10.jpg

花筏

 2日後くらいにもう一度、市越の池に行ってみた。お目当てのものに遭遇。本当は仁淀川のどこかで遭遇したかったこの風景、これもいくつかの条件が満ちないと出合えない光景である。これにも古の言葉で優雅な名前が付いている。「花筏(いかだ)」何とも風流だ。これで、あきらめていた私の春もやっと終わった。 
posted by tentijin at 05:54| 愛媛 ☁| Comment(3) | 随想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月08日

536 絵 画 鑑 賞 ( イン城川 )

1.jpg

日吉の桜

 まだ鬼北の桜が無事だった頃(少し前)、ひょんなことから城川に絵画鑑賞にでかけた。日吉の桜も、もう明日が満開かというくらいのタイミングであった。広見川バックの桜は、なかなか美事な色あいである。

2.jpg

入場券

 場所は、もちろん、かまぼこ板の絵で有名な「ギャラリーしろかわ」で、私も1度だけ訪れてかまぼこ板の絵を堪能したことがある。したがって、今回が2度目になる。

3.jpg

入口の看板

 お目当ては、我が相棒のお散歩仲間に日本画を描き、県展などにも出品されている方がおられるのだが、その方のお師匠さんの日本画展が開催されているとのお薦めがあったので、出かけることになったのだ。お名前は、伊東正次さんといわれ、久万高原町の出身だそうである。

4.jpg

古木 1

 入場してみると、かなりの大作が展示されていた。大迫力の画面に、日本画らしく精密な描き込みがされた素晴らしい絵であった。写真撮影が良いのか悪いのかは分からなかったが、禁止の表示はなかったので、思わず撮影に及んでいた。

5.jpg

古木 2

 テーマは、「花木を辿る」とのサブタイトルにもあるように、古木や岩や花、蝶などが描かれている。その大きさと細やかな表現に心打たれた。

6.jpg

古木 3

 最も大迫力の絵は、桜の古木と満開の桜が微細に描かれた襖(ふすま)絵であった。古びた古木の大きさやごつごつした肌あいと輝く満開の桜が対照的で、大変美しい作品だと感じた。

7.jpg

白彼岸花

 凡人の私の目を最後に惹いたのは、白い彼岸花の絵であった。現実の白彼岸花は、白というよりクリーム色であるが、この絵は、純白の色あいで描かれていた。暗い背景に純白で描かれた彼岸花は、深いところで現実から夢の世界に入り込んでいくように感じ、大変参考になった。
posted by tentijin at 17:57| 愛媛 ☁| Comment(5) | 随想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月05日

535 散 歩 ( 風 流 )

1.jpg

道からも桜

 花は、ほんの一瞬の命で、うかうかしていると、あっという間に通り過ぎて終わってしまう。今年は、何やら様々な会合やら雨やらで落ち着いて花を眺める暇もない。その間に花の季節も終わってしまうかも知れない。

2.jpg

グランド周りの桜

 現在、我が散歩は、最も極道な(怠け者の)パターンになっている。山は、寂しすぎる気がして鬼北グランドをぐるぐる回るコースで、5周30分という最低限度のウォーキングになっている。ただし、1周の途中で200回のスクワットを行う。5周だから計1,000回の軽いスクワットということになる。軽くても高速スクワットにすれば、少しは足に堪(こた)える。自己満足に過ぎないようにも思われるが・・・。

3.jpg

見上げると贅沢

 鬼北グランドも、グランドの周囲、長い滑り台の斜面など、グランドの周りは全て、花で囲まれている。花の下を歩いて行くと、ふと見上げた瞬間に、「贅沢(ぜいたく)な散歩だ。」と思えてくる。なかなか花見にまでは至らないのだが、心1つでずいぶん贅沢で風流な時を過ごせる。

4.jpg

自ら光るかのごとく

 ふとした加減で、花は光輝き、匂うがごとく思えるから楽しい。何のために歩いているのかさえ忘れてしまう。もう何十年も腰の不調と戦いながら生きてきたが、散歩中にあることをすると楽になり、ぎっくり腰にならずに過ごすことができている。

5.jpg

丘は桜で埋まる

 歩きながら、息を吐くときに腹筋に力を入れる。吐く息は、5〜10秒吐き続けるとベストだ。習慣になると、腹筋に力を入れる状態は、座っていても、運転をしていてもできるようになる。さらに進化すれば、腹筋に力を入れたまま息を吸いもでき、吐きもできるようになる。

6.jpg

やはり満開

 広中の前を通過すると、交差点近くの駐車場の桜が、あまりにも美事に咲いている。道行く車からは、1瞬その豪華な桜が光るのが見える。散歩の帰りに鬼北グランドから広中駐車場に回ってみる。見上げると、やはり豪華絢爛で、車を停めて見上げているだけなのに、風流な空間に迷い込んだようだった。

7.jpg

広中の桜

 鬼北の桜も、いつの間にか満開で、一雨風が来れば、散りに回るだろう。もう今年の春は、花の旅には出ることができないかも知れない。残念だが、所用と雨で願いかなわず、花の春は、もうすぐ過ぎて行きそうだ。
posted by tentijin at 22:21| 愛媛 ☁| Comment(4) | 随想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月01日

534 お 手 伝 い ( 厳しい時代 )

1.jpg

モノレール

 今日は、エイプリルフールだが、冗談ではすまない時代が到来しつつあることを感じる。
高校を卒業した折に、仲間がみんな大学に受かり、私1人が浪人生になる失意の中、東京へ向かった時、あまりにも好き放題遊びほうけ、心底眼前のことのみに溺れていた自分が悔しくて、天国から地獄に落とされた気分であった。


2.jpg

リンゴの花らしい

 当時は、状況がどうであっても、負けん気だけは1人前で実力が伴わないのが現実だった気がする。連絡船の中で、「青春は終わった。」と観念した。しかし、現実では、苦しい浪人時代も含めて、まだ、青春の後半が残っていたように、当たり前だが、今では思う。

3.jpg

猫の春

 我が特徴の中には、とにかく頭の中で、早々に決着を付けたがる傾向があったのだと思われる。今回もその1つのようにも思えるが、風の国も、鬼北も厳しい時代を迎えていることは否めない。

4.jpg

山桜も満開近し

 鬼北同様、いや、一歩先んじて風の国では、桜の開花がどんどん進み、足早に展開し始めている。いつもなら、4月の中頃まで清美タンゴールの収穫が続くが、今年は、いよいよ収穫という頃、雪を伴った寒の戻りがあったため、例年になく、清美の実が落下していた。

5.jpg

無農薬の清美

 そのため、収穫量も少なく、3月の末に清美の収穫は終わってしまった。我々がお手伝いに出かけるのは、基本、土日のどちらかに出かけることになるので、平日収穫をするのは、お父さんに限られる。

6.jpg

春の海

 お父さんは、とうに80歳を越えており、一方、80歳を迎えたお母さんも膝の具合が悪く、密柑山の作業に耐えられなくなっている。80歳を越えていても、お父さんは、高い木に登り、剪定や収穫をこなしておられるが、よくその会話を聞いていると、「登るのはいいが、降りるのに苦労する。」という意味の本音が聞こえてくることがある。大変危険な傾向であると思える。私などは、脊髄手術の後遺症もあり、足許はすこぶる不安定なので、はなから(最初から)木には登らず、長バサミを使ったり、届かない枝は、片っ端からノコで切ってしまう作戦で作業を進めている。

7.jpg

八幡浜の桜

 清美もお母さんの作業参加ができなくなって、消毒もできなくなった。柑橘は、消毒を適正にすることによって病気を防ぎ、きれいな実を収穫できる。肥料を与えることで甘い実になる。現在は無農薬状態になっている。「無農薬」という言葉づらはいいが、そこからは、音のしない足音が聞こえているようにも感じる。できる限り我々がお手伝いを、しなければならないと思う。
posted by tentijin at 20:14| 愛媛 ☁| Comment(7) | 随想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
タグクラウド