2018年11月27日

792 巳午(みんま) 2

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昼の海

 巳午の夜は、少し飲み過ぎた私だったが、みんなで賑やかに正月をしていただき、おそらくお父さんも、にこにこと眺めておられたのではないかと、感じた。晴れ男だったお父さんなので、お墓に上がる翌朝も、小春日和の良い天気であった。

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ムラサキツユクサ

 お父さんが、家の地下倉庫に置いているスーパーカブにまたがり、岡の川まで下っていった坂道の石垣には、ムラサキツユクサが、その命の力を発揮して大きな株に発展している。私たちも、お父さんの生命力を一杯に受け継ぎ、パワーアップして生きていけるといいなと、坂道を下りながら思う。


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薄い鏡餅

 巳午餅は、地区のお世話になった方や親戚に配られ、遠方で暮らす親戚方には、送られて、共に偲びつつ、正月を祝う。翌日の墓参り用に薄いお餅も届いているので、それに切れ目を入れて、お墓に上がる。お墓に着くと、その餅を子供がちぎる習わしらしく、我々もちぎるお手伝いをした。墓参りに上がった方々が、それを更に小さくちぎって、それぞれのお墓全てに供える。余った餅は、それぞれがかじって正月の味わいとする。

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風呂の焚き物入れ

 様々な仏事が進行して、後は49日だけとなっている。力仕事担当のお父さんがいなくなり、お風呂を焚く係も、お父さんからお母さんに移行するほかない。地下倉庫から重い薪が入ったキャリーを持ち上げることは、足腰が限界にきているお母さんには難しい。息子が同居しているので、頼まれたら、力になるよう話している。しかし夜勤の多い息子にも限界がある。私も、週末のお手伝いでは、気を配るようにしている。近所のS君が、そのことを心配してくれて何度も風呂用の焚き物を届けて上に上げてくれていた。本当にありがたい。

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野路菊

 49日が近づくにつれ、あまりにも月日の流れが速く、驚いてしまう。風の国の石垣には、もうあちこち野路菊が咲き始め、ツワブキの花は、終わりかけている。


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花盛り

  この野路菊は、風の国の皆さんには、なじみの花だが、あの頃に咲いていたというのも、また、いい思い出の1つになりそうな気がする。蜜柑山のそこここにも、この野路菊は咲いており、お父さんの活躍した場所と自然に結び付くので、また、印象に深い。


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ザクロ

 お父さんが、毎日、がんばって焚いていた風呂の焚き口の前には、ザクロの木が生えている。子供の頃には、大変珍しい果物なので、どこかのお家になっているのを見つけると、食べてみたい気持ちを抑えきれないでいた。今でもその頃をひきずっているのか、食べたくなってしまう。しかし、いざ食べてみると、魅力的に甘酸っぱいのだが、そんなに美味しいものではないのかもしれないと、感じたりもする。しかし、それでも、食べると元気をもらえるような気もするから、不思議だ。これもまた、いい思い出になっていくかもしれない。
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2018年11月23日

791 巳午(みんま) 1

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しめ縄

 10月15日に、お父さんが亡くなって、早くも一ヶ月が過ぎてしまった。信じられない思いのままに35日目の塔婆をお墓に上げる行事も既に終わってしまった。11月の巳の日に巳午(みんま)という行事がある。これは、なくなった人のお正月の行事なのだ。祭壇の前に、柿の木の枝を立て、しめ縄を渡す。このしめ縄は、通常とは逆の左によじった縄を編んで作る。となりのおっちゃんにお願いして作ってもらった。


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伊勢エビのお供え

 お父さんが亡くなったことを聞いた運送屋さんが、大きな伊勢エビを、お供えにと持ってきてくれたので、大きい方を、分解しながらうまく中身を抜いて、剥製にしてみた。お供えとして1つの思い出になったかも知れない。

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地区のお寺

 巳午の日は、7:30にお餅が届く。それを手分けして、お世話になった方や親戚筋に配っていく。坂の多い風の国なので、なかなかの労働になる。弟と私は、お寺に参ることとなっている。地区の集会所にも、臨江庵というお寺がある。地区の人たちの中に、念仏を申す方がいて、仏事を行う風習があるのだ。地区の人たちの信仰心から生まれた場所で、正式なお寺ではない。

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餅を供える

 集会所とは別棟に、かなり広めの部屋が2つあり、地区の方々の信仰の対象となるのであろうか、様々な仏様が並んでいる。その祭壇に亡くなった方の名前を書いた紙を貼り、2升餅と呼ばれるお鏡を供え、お線香を上げるのが習わしのようだ。この地区の先祖代々の方々を祀っていると言えるだろう。


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伝宗寺の大楠

 続いて、伝宋寺という三崎にあるお寺に参る。ここには、その境内に、樹齢1000年あまりと言われている天然記念物の大楠が鎮座している。

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位牌堂にもお供え

 本堂から堂内を通って裏手の位牌堂に向かう。地区ごとに巳午の祭壇がしつらえてあるので、そこにお米1袋とお菓子や果物を供えて線香を上げて帰る。ここまでが、昼間の巳午の行事となる。

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夕刻に近づく

 しばらく休憩するうちに、海も暮れてきて、4時頃からは、第2部ともいうべき宴会が始まる。故人のお世話になった方々や親戚うちが集まってくる。お正月なので、賑わしく折りやお酒が振る舞われ、個人と共に一時、永遠の時を過ごしていく。
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2018年11月19日

790 あの時に帰ってみる 2

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岳人山さん

 さて、夕方からは、JAのホールで、80周年記念の祝賀会が行われた。この夜の会でも、岳人山の尺八演奏で始まり、素晴らしい演奏に皆が酔いしれた。我々は、同級生が同じテーブルにつき、懇親の祝賀会は、進んでいった。

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O君、MIっちゃん

 我々が、高校生だった頃は、エレキバンドが隆盛し始めた頃であった。お父さんがギターを教えていたO君から誘われて、私とJUNちゃんは、O君が始めようとしていたエレキバンドの一員になった。当初は、4人がそのメンバーであった。中心のO君がリードギター、OKAMOTOがサイドギター、そして、JUNちゃんがベースギターの担当だった。私はといえば、何とドラムス担当であった。これらの楽器演奏は、全てO君がそのノウハウを知っており、後の3人は、全くのド素人であった。O君はレコードを聴いて、リードギターやサイドギター、ベースギター、ドラムなどの音を譜面に起こし、メンバーの指導をした。私も、ドラムの叩き方を1からO君に学んだ。


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H君、N君

 エレキのギター2本は、O君が所有していて、JUNちゃん担当のベースギターは、4人がアルバイトをして後日購入したような気がする。私の担当だったドラムは、大変高価な楽器で、当時で5万円以上したので、とても買うことはできなかった。当初、4人の練習場所は、出目の集会所だったが、ドラムはないので、段ボールを大小3〜4個並べて置き、シンバルの代わりには、集会所のブリキのちりとりを針金で天井から吊して、スティックでそれを叩いていたのを思い出した。


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H君、S君

 我々の演奏の発表場所は、予餞会だったように思う。あの記念式典があった体育館がその舞台だった。最初に我々が挑戦した曲は、ベンチャーズのパイプラインであったと思う。たぶん、1年目は、ベンチャーズの曲をいくつか演奏をしたのではなかろうか。私は、なれないドラム演奏のため、授業中も隠れて机の中や教科書の上を指で叩いて練習をしていた記憶がある。

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記念に

 結局、この祝賀会に集まったバンドメンバーは、O君とJUNちゃんと私の3人が集まった。1年目の演奏では、既に散髪屋さんになっていた中学の同級生が持っていたドラムをお借りして臨んだ。熱意だけはあったので、練習に打ち込んだ私だったが、練習をやり過ぎて予餞会当日は、筋肉痛になり、バスドラムがあまり叩けない状態であったという笑い話で終わった。


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Tちゃん

 2年目は、少し進化して寺内タケシとブルージーンズの曲を数曲演奏した。これもO君の好みで、リードギターの見せ場がすごいというところが、その選曲の理由だった気がする。ちょうどその頃、出目に広島研磨の工場ができるということで、夏休みのほとんどを費やして、我々4人は、工場の予定敷地の草刈りのアルバイトを行った。おかげで、やっと我々は、大枚5万5千円の立派なドラムを買うことができた。

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ご夫妻

 最後の3年目は、ブルージーンズに加えてタイガースの曲など、十数曲を用意していた。バンド練習にのぼせて、私は、大学入試の勉強も1mmもせず、結果、浪人をするはめにもなった。しかも、3〜4曲終わったところで、生徒指導の先生からストップがかかり、そこで我々バンドメンバーの予餞会は終わってしまった。

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2次会にて

 卒業式を終えた日曜日に、結局、我々は練習した全ての曲を、聴きたい生徒に来てもらって、学校にも許可をもらって、あの体育館で最後のお別れコンサートを実現した。JAでの祝賀会も、滞りなく終わり、我々同窓生は、2次会場のスナックに移動、JUNちゃんは、来てくれる予定であったと思うのだが、都合で姿を見せてくれなかった。我々同級生の一番出世のJUNちゃんではあるが、少し雲の上に届き、我々の世界からは、離れてしまったのかも知れないと、少し寂しい思いも起こってきた。
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2018年11月15日

789 あの時に帰ってみる 1

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校門の表示

 あの頃の仲間たちも、今では、あちこち不具合が出てきて、元気は、次第に今一になって来ているだろう。そんな何人かが、原点の場所に集まることになった。我々がいた頃は、まだ、木造校舎であったのが、今では鉄筋の校舎になっている。この鉄筋の校舎になってからも久しい気がする。何と我々が、ここを卒業したのは、50年、つまり半世紀前なのだから、自分でも驚いてしまう。


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校門の絵

 校門には、創立80周年の祝賀と記念の文化祭の表示と生徒が描いた絵が、出迎えてくれた。体育祭で大きな看板の絵を、私も、描いたことがあるのが思い出された。私は、高校時代いつも一緒にこの高校に通っていた3人の中の1人のMちゃんと乗り合わせてやって来た。当時の建物で、今でも残っているのは、体育館だけである。体育館は、我々が在学中に、建った気がするので、この体育館も、50年以上の月日を経ていることになる。


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式典場

 式典では、岳人山さんの尺八演奏にまず心を打たれた。式場の体育館は、外装を塗り直したり、様々なリニューアルはしたと思うが、基本的には、昔と変わらずの様子であった。ここは、主に私の親友のS君が頑張っていたバスケ部の練習場所であった。私が規則を破ってオートバイ通学をし、この体育館の地下にオートバイを置いていたというむずがゆいような思い出も蘇ってきた。

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岳人山の演奏

 学校に遅れそうになりながら、オートバイで家を出る。時間すれすれに体育館の下に、裏門から滑り込む。模擬テストがあっても、サッカー部の練習試合を優先し、優しいK先生に、「お〜い、○○、もうテストが始まっとるぞ〜。」言われ、「先生〜、試合も始まっとるので、行けません〜。」何と危なっかしくも、のどかな高校生活だったことだろうか。その優しいK先生も、既にお亡くなりになった。


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JUNちゃんの演題

 さて、我々仲間たちが、50年ぶりにここに集うことになったのは、80週年記念式典で講演をする四電工取締役会長になっているJUNちゃんこそが、私とこの高校に通った仲良しメンバー3人の中の1人なのだが、彼の講演を可能な同窓生みんなで聞きに行こうということになったからだ。MIっちゃんと私とJUNちゃんの3人は、下校途中、飽きることなく話ながら、登校も下校も一緒にしていた思い出がある。よくもまあ、そんなに話があるなと思われるほど、分かれ道で、30分、また次の分かれ道でも30分、尽きない話をしていたのに、今更ながら驚く。毎週、3人が徹夜で英語のテスト勉強をしたこともあったっけ。


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JUNちゃん

 我々は、いったい何を話していたのだろうか?記憶に残っているのは、女の子の話を多くしていたような気がする。「自分の好きな子は、だれそれで・・・」などという他愛もない話であったように思う。土日に主がいなくなる住宅に、その家の息子、我々の同級生と、10人ほどがたむろして、夜通し遊んでいた。我々は、賢くも秘密裏に夜遊びをしていたのだ。数々の冒険もしたが、もはや、時効とということで流していただきたい。

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グランドから空を見上げる

 大学生の時、お父さんを亡くし、学生生活を続けられるかという窮地に陥ったJUNちゃんの人生の話は、今の高校生にどれくらい届いたかは分からないが、我々同級生には、十分に心に響いてきた。彼は、四国電力時代、初期には広報関係の仕事をしていた時があったが、毎朝、全国紙やら地方紙やらの新聞を10紙ほど読んでいるという話を彼から聞いたことがあった。私はその時、そのエネルギッシュな仕事ぶりに大変驚いたことを覚えているが、その時、彼の未来や時代を見る目が養われたのではなかろうかと思えた。一時、彼の講演を聞きながら、私は、あの懐かしい時代に帰ってみることができた。
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2018年11月11日

788 ク ル ミ の 涙

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牛鬼

 秋祭りの牛鬼が、子供たちの一時の夢を乗せて、秋晴れの空の下、家々を回っていく。亥の子の実入りよりは格段に良い牛鬼(秋祭り)の収入は、昔も子供たちの楽しみの1つだった気がする。この季節、秋から冬にかけて、我が家の空き地では、しっかりと実の詰まったクルミを収穫することができる。

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大木となりにけり

 クルミの木は、既に葉を落とし、空に大きく手を伸ばしている。この木は、すこぶる生長が速く、1年で3m〜4mも枝の長さを伸ばしていく、単純に計算してみても、空恐ろしい数字をはじき出すので、計算しないことにしている。

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日々たくさんの実が・・・

 そのため、油断すると、お隣さんの土地の上空に枝が伸びてしまう危険がいっぱいの木なのだ。たまたま興味を持って大枚4千円以上支出して買い求めた苗、あまりの生長の速さに驚いて、庭に植えたものを、1年で掘り起こし、空き地に移植したという、いわくつきの木なのだ。


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何日分かを集めてみても・・・

 したがって、毎年、枝を切るという作業をしてきた。しかし、枝を切ってしまうと、あまり実を付けなくなってしまう。そこで、枝を2年間切らずに様子を見た。すると、予想通り、今年は、たくさんの実を付けた。拾っても拾っても実が落ちてくるのだ。

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庭は埋め尽くされていく

 家に持ち帰り、庭にぶちまけてみると、かなりの量であることが判明する。頭の中で、まだ、枝に残っているものと合算してみると、ここに並んでいるものは、全体の5分の1くらいだろうか?


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クルミの涙

 これは、限りない豊かな実りの姿なのだが、その一方で、巨大に生長してしまった枝の行く末をおもんぱかれば、背筋が寒くなるような光景しか思い浮かばない。計画通り今年こそ枝を切るしかない。あまりにも大きく生長したクルミの木は、ノコの目が入る度にその傷口から大量の涙(樹液)をこぼした。何だか、かわいそうな気がしてくる。


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桁(けた)外れの量

 果肉を除(の)け、水洗いしたクルミの実は、見たこともないくらい大量の実りになっている。涙を流したクルミ君たちが、一生懸命育てた実りなので無駄にせず、有効にありがたくいただくしかないだろう。「ありがとう!お疲れ様でした。」  
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2018年11月07日

787 西 に 走 っ て み る

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鬼北の空

 突然の出来事が起こった週は、鬼北と風の国を何往復もした。秋の終わりの空を、落ち着いて眺める余裕もなかった気がする。

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スーパーカブ

 お父さんの仕事の主たるものになっていた風呂焚き、お父さんがその薪を作る空間がある。敷地の一番下になる。地下2階になる倉庫のような部屋だ。薪割りはそこで行われるので、必要な道具が全て揃っている。私もお父さんに習って、そこで薪割りをしてみた。なかなか大変な作業だ。その部屋の前に、お父さんのスーパーカブが収納されている。


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西へ

 ふと、このカブの行く末を思い描いてみた。主を失ってしまったカブは、この倉庫の中で、じっと時を刻んでいる。雨を防ぐ屋根の下なので、すぐに錆びて朽ち果てることはないだろう。しかし、主を失ってしまったので、誰もそのエンジンをかける者はいないかもしれない。近々そのバッテリーがあがってしまうことだろう。

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西側の海

 私もバイクの免許を持っているので、ふと、乗ってみようという気になった。坂の多い風の国なので、何十年も乗ってないカブに乗るのは、少し危険な気もした。気付くと、お墓のある西の方角へ走っていた。この地区を外れた所まで来ると、断崖絶壁から海が見える。


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裏側の梶谷鼻

 例の梶谷鼻の裏側に出た。蜜柑山はまだまだ続き、道は山を越えて三崎の町まで続いている。

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第2の梶谷鼻

 次の鼻には、第2の梶谷鼻にあたる岩山が2つ見えてくる。この鼻を回ったところで、Uターンして岡の川まで帰ってきた。途中でいつも助けてくれるS君に出合う。彼もバイクに乗るので、時々、乗ってほしいと頼んでみた。快く引き受けてくれた。お父さんも、彼に乗ってもらえれば、本望だと思う。


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足を分解

 お父さんの突然の死を知らなかったという、いつもミカンなどを運んでくれる運送屋さんのNさんが、巨大な伊勢エビを持ってきてくれた。仏前に供えようと考えて、中身を苦労して取り出し、分解してみた。


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胴体も身を抜く

 胴体は大きいので、比較的身を出すのは、容易にできるが、足などの細い部分は、折れないように細心の注意をして身を抜くのは大変難しい。しかし、これを再び組み立てるのはもっと難しそうだが、何とか完成させてお父さんに見てもらいたいものだ。
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2018年11月03日

786 秋 を 行 く 2


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ブルーベリーの紅葉

 足下が寒くて目が覚める秋の夜、朝晩本当に寒くなった。もう冬に突入しているのかも知れない。ふと見ると、我が家の鉢植えのブルーベリーが、紅葉していた。今日も引き続き農園の秋?初冬?を少し巡ってみたい。


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消滅寸前のほうれん草

 まずは、難しいほうれん草、枯れて消滅しそうだったのだが、近所のもう亡くなったJ君のお父さんが言っていた言葉を、突然思い出して実践してみた。それは、「ほうれん草にとっては、石灰こそが肥料と同じなのだよ。」という言葉だった。

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美事復活!

 そこで、まず、ほうれん草を植えた畝と畝の間を少し掘って、小さな溝をこしらえた。その溝に顆粒の苦土石灰と化成肥料を撒いてみた。一雨降った後は、何と魔法のごとく、ほうれん草は蘇り、青々とした葉っぱに戻ってくれた。経験に満ちた先輩の言葉こそ、いとめでたけれ!


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生姜の株

 日照りが嫌いな生姜君も、あまり立派にはならなかったが、何とか育ってくれた株もいくつかは、できた。


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収穫生姜

 小さな生姜ではあるが、煮魚に入れたり、佃煮にしたり、重宝した。


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エンドウたち

 10月に入って種を蒔いたスナップエンドウと絹さやエンドウも、無事、芽を出した。しかし、経験では、これから寒くなるにしたがい、寒さにやられる可能性がある。何とか乗り越える手を考える必要がある。

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春菊順調

 鍋のおともの大葉春菊も、何とか発芽したので、これからの鍋の季節に、頼もしい相棒になってくれそうだ。


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試し掘り

 試し掘りしたサツマイモも、まずまずのサイズのものもあり、何とか安堵するに至った。実りの秋は、いと楽しである。
posted by tentijin at 08:03| 愛媛 ☁| Comment(8) | 随想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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