
伊予柑畑
今年もまだ、餅つきを恒例行事という範疇に納めることができた。長年この行事の中心で頑張ってこられたのが、風の国のお母さんだと思う。そして、その重要な相棒のお父さんが亡くなられ、我々も、できるだけのお手伝いはしているのだが、今となっては、ひとえにお母さん次第という状況になっている。

収穫した伊予柑
今回は、60kgの餅米を鬼北から運び、お父さんがいないので、前日から必要な買い物をして、風の国に乗り込んだ。この日は、早昼を食べて、伊予柑の収穫を2人で始めた。収穫の一番目は、いつもこの伊予柑から始まる。やっていると、S君が手伝いに来てくれて、ずいぶんと助かり、35キャリーの収穫ができた。

今年の水栽培
お父さんがおられた頃には、たくさんのチューリップが水栽培されていた。お父さんがお友達や病院に上げたり、我々がいただいて帰ったり、誰かの笑顔のために栽培されていたような気もする。今年は、お母さんがそれを偲んでか、10本だけ栽培されていた。

何と、新芽が出ている
また、親戚の方が送ってこられた胡蝶蘭、花が終わってからも、お母さんがお世話をされていた。ふと見ると、その茎や葉の根元などから、新しい芽が顔を出していた。我が家も小さな一鉢をいただいて世話をしているが、まだ、新芽は顔を見せていない。

餅つきは晴れ
幸い餅つきの日は、天気も晴れで、赤い朝陽が顔を出した。いつも朝寝坊な私だが、頑張って早起きをし、お父さんが担当していた火の番を受け持つことになっている。

せいろに入れる
まず、漬けてあった餅米を桶からザルに上げて、水を切りせいろに入れる。あまりたくさん入れると、米は膨らむので、その量の加減をする

蒸す
ヒノラ(前庭)にいつものかまどを設置する。いつもなら、お父さんが作ったウバメガシなどの薪をくべる。ウバメガシは、火力が強いので、とても役に立つ。今年は、S君が家にある薪を持ってきて寄付してくれた。しばらく薪を焚いていると、上のせいろから蒸気がでると、「あがる」という状態になって、下のせいろが蒸し上がる。

並べた餅
蒸し上がったせいろを持って、餅つき機の所まで持って行く。しゃもじで蒸し上がった米を餅つき機の中に入れるのは、お母さんの役目だ。私は、お釜に水を補給して、また、米を入れ、火の番をする。餅を上げるのもお母さん、相棒と2人で餅を切り丸める。弟夫婦が来るまでは、3人で頑張る。丸めた餅は、倉庫に並べる。今までは並べるのが私の役目だったが、今回は、相棒が頑張っていた。しかし、60kgの米を餅にする作業は、本当に大変だ。7時くらいから初めて、終わるのは12時くらいになる。その間、お母さんは、ほぼ立ちっぱなしになり、弱った足腰が悲鳴を上げるはずだ。後で聞いたら、翌日は、昼頃まで、腰が立たなかったそうだ。恒例行事だったが、そろそろ潮時が来ているのかも知れない。