
クレイジーキャッツ 1
戦争が終わって、5年目の春に、私はこの世に誕生した。戦後生まれなので、戦争の悲惨さも体験したりはしていない。ただ、戦後まもなくの昭和30年頃には、5歳を迎える頃なので、かすかに物心が付いた記憶がある。

懐かしいテレビ
しかし、あまりにも頼りない記憶なので、その前後がどういう具合であったのか、とか分からないことの方が多い気がする。歴史秘話ヒストリアという番組が好きで、最近、見始めたのだが、今回、見ていてちょっとした心の旅に出てしまった。それは、「スーダラ節」の秘話という内容の回であった。

クレイジーキャッツ 2
「スーダラ節」がヒットしたのは、1961年らしいので、私はまだ、5年生の頃と言うことになる。中学生の頃のような記憶が私の頭の中には、感覚として残っているのだが、いかにいい加減な記憶なのかということが分かる。

スーダラ節のレコード
私の前に、テレビなるものが出現したのは、4年生の頃だった気がするが、これも当てにはならない。小学校の広い和室のような場所で、まるで霧の中のような画面の大相撲を観戦させてもらったのを覚えている。その後、6年生の頃、今、畑をお借りしているお家に、地区で初めてテレビがやって来た。近所の子供たちは、毎晩、そのお家に詰めかけ、テレビを鑑賞したものだ。

植木は歌うことを拒否
それから1年も経たない間に、事故やら病気やらで両足を失っていた父親が、我が家にもテレビを購入することを決定した。かなり高価な買い物であったと思うが、障害年金などをはたいて購入したのかも知れない。1963年にケネディー大統領が暗殺される前に購入して、初めての衛星中継として暗殺事件が放映されたのを記憶している。

親鸞聖人
また、1964年には、東京オリンピックが開催されたが、これも、中2の頃で、ぎりぎりテレビ鑑賞ができたのを覚えている。さて、歴史秘話ヒストリアに取り上げられた「スーダラ節」だが、1961年のヒットらしいので、まだ、我が家にテレビはなかったことになる。そのため、テレビがやって来た中学の頃の印象が私にはあるのだろう。

親鸞聖人の悟りの言葉
「スーダラ節」の無責任な歌詞の内容を見て、お寺で生まれた植木等は、「これを自分が歌えば、お寺の子どもとして自分は一生、後ろめたい思いで生きなければならない。」と考え、当初、歌うことを拒否していたらしい。思い悩んだ挙げ句、僧侶の父親に相談をしたら、その歌詞を聴いた父親が、自分の宗派の親鸞聖人が言われた言葉に通じると逆に勧めてくれた。おかげで、このヒットになったというのだ。親鸞自身、人間の悪性をついに克服することができなかったという誠に人間らしい悟りの境地を述べており、「スーダラ節」は、正にその世界なのだというのだ。私などは、本当に聖なる世界に行けない人間なので、この世界を旅すると、少し、心が楽になる。