2016年09月29日

589  秋 散 歩 ( 秋 満 喫 ? )

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雨雲ふう

 秋の季語に「爽やか(さわやか)」という言葉があるが、現実の秋は、少しも爽やかなんかではない。蒸し蒸しと暑苦しく、少し動けば汗が噴き出てくる。いったいどうなっているのだろう、今年の秋は。空に浮かぶ雲は、「いつでも雨雲になれるぞ。」といったふうの雲が出ている。

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ススキの山道

 途中で動けなくなる恐れもある年頃になったので、林道の散歩はやめて、運動公園の周囲を、飽きもせずにグルグル回る散歩に切り替えている。この日は、久しぶりに秋を探して林道に分け入ってみた。道には、いつの間にかススキが穂を出し、落ち葉も散り敷き、秋の道になっている。

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山からは夏雲を望む

 林道から遠くの山並みの向こうに上がっている雲を見ると、秋というより夏に近い様子の雲が見えている。誰一人として出合う人間はいないので、林道より地上を歩くのが正解だと思うが、たまに秋探しに登ってみるのは、悪くはない。


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アケビも健在

 いつもの場所にアケビも実を付けている。いつも採ってきて近所の子供にプレゼントするのだが、あまり芳(かんば)しい反応は見られない。恐らく私の独りよがりのノスタルジーに過ぎないのだと思う。


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篭を満たす

 山栗の木の下でびっくり、両方のポケットに入り切らない山栗を採取。道でお金を拾ったくらい嬉しかった。子供の頃、無限にお金を拾う夢を見たことが何度もあったが、それ以来の満足度であった。何と私の精神は、おかげであの餓鬼の頃とちっとも変わっていないことが分かった。特に熱心に食べるわけではないのだが、貧乏性の私は、たったこれだけのことで心豊かになる単細胞なのだろう。

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いったい何個?

 拾いきらなかったので、翌日は篭を持参して、イガごと拾ってきた。イガから出して大小のボールに入れてみると、ほぼその器を満たしている。この数の山栗の皮をいったい誰がむくのであろうか。おそらく、相棒には拒否されると思うので、結局、細かい作業が好きな私が落とし前をつけるに決まっているのだが・・・。

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満足の秋空

 山栗で、本当に心が豊かになったのかは、大いに疑問だが、帰りの秋の空を見ると、私だけではなく、この秋を満喫している御仁(ごじん)が、もっとどこかにいるような気がした。
posted by tentijin at 08:24| 愛媛 ☀| Comment(4) | 随想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
まさに秋!あけび、愛宕公園の道筋にあったのですが、誰かが・・・栗の季節ですね.ススキも・・・十五夜の頃、宇和島では穂が出ていない。鬼北郷まで切りに行きました。今週辺りから穂が見えるでしょう。地域、四季、良い物は大切にしたいですね。
Posted by 鬼城 at 2016年09月29日 08:49
 景色にも特にゲットされた栗に釘づけ。歩きたい!そんなに秋の山の産物を頂戴できる散歩コースを見つけたいですぅ。
 歩ける有難味を知ったので、これからの生活もちょっと違った感覚になって行動できそうです。
Posted by 吉野の食いしんぼう at 2016年09月29日 09:45
鬼城様
 アケビは、私の散歩道では、3〜4カ所あったのですが、今年は2カ所でした。採取するのは私しかいないので、原因を作る犯人は私だと思います。栗はおそらく、今年が成り年なのだと思われます。大漁。
Posted by tentijin at 2016年09月29日 16:21
吉野の食いしんぼう様
 交通指導の時、いつも出会うおばあちゃんは、車いすに犬のクサリを縛って、車いすを押しながら歩いています。足も腰も弱ったのでと言われますが、グットアイデアだと思いました。我々人間にとっては、大げさなようですが、歩けるということは、大変素晴らしいことだと思います。
Posted by tentijin at 2016年09月29日 16:27
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