2018年10月26日

784 前 に 進 も う

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海の夜明け

 ずんずん歳をとると涙もろくなる傾向があるが、私も例外ではなさそうだ。物心ついた頃、私の周りには、母親と祖母がいた。父親の姿はなかったが、特段不思議にも思わなかった4歳の頃であった。小学校低学年の頃、父親は、母を困らせた人間であったと、叔母から聞いた。その父親の子供であることから逃れることのできない自分なので、その話にショックを受け、その話をした叔母を恨んだ記憶がある。


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あの時収穫したミカン

 小学校入学と同時に、母は再婚し、私には、初めて顔を見ることができる父ができた。母と2人で暮らした時代もあったが、今思うと、かなりの極貧生活だったのだろうと、想像できる。最もひどい時は、一週間、三度の食事のおかずが、ニンジンのみであったという記憶がある。

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ひのらの植物

 母は、小さな私に「ごめんね。」と謝った。私は幼すぎて、自分たちの置かれている状況に思いが及ぶことがなく、母の作ってくれたニンジンの煮物の美味しさに十二分に満足していて、なぜ母が謝るのか分からず、あっけらかんとしていたことも、記憶に残っている。

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フェリー

 父無しの生活からスタートし、私が30代の頃、母も早くに病死、続いて父も逝ってしまったので、風の国のお父さんやお母さんに出会えて、私としては、内心、とても嬉しかった。また、温かく家族の一員として迎えていただいたので、更に嬉しかった。

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風呂の焚き口

 風の国のお父さんは、花や植物が好きで、ひのら(庭)には、お父さんが育てていた様々の植物の鉢植えが並んでいる。朝晩の水やりもお父さんの仕事であった。足腰の弱っているお母さんがその仕事を受け継ぐのだろうか?


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小さく割った焚き付け

 また、晩年、風呂を沸かす仕事を自分の役目としていたお父さん、薪を割ったり、下の倉庫から運んできたり、力仕事はお父さんの役目であった。風呂に入らない訳にはいかないので、これもお母さんの仕事になるのだろうか。少しでもお役に立てるようにしていきたい。

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お母さん用の台

 台所に荷物などを置くのに、お母さんが便利になるよう小さな台を、鬼北で、製作中だった。一度作って持って行ったが、サイズが合わずに持ち帰った次の朝に、お父さんが亡くなってしまった。1歩を踏み出すために、台は完成させることができた。


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風の国の明け方

 私は、また、父のいない状態に戻ってしまったが、いっぱい良い思い出をもらったので、それを大切に心に持ち続けて、前に進んでいきたい。
posted by tentijin at 11:01| 愛媛 ☀| Comment(4) | 随想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 解ったような事をと思われるかも知れませんが、お母さんは、tentijinさんが温かい家庭を作られ、奥様のご両親に孝行をされる生活を一番、天国から喜び見守られていたのだと思います。ブログから実の親子のような触れ合いを感じていただけに寂しさも深いのだとお察しいたします。
 お母さん用の台、愛がギッシリ。
Posted by 吉野の食いしんぼう at 2018年10月26日 17:25
声の掛けようがありません。昔のことを話された時のことを知っているだけに「風の国」の家庭の暖かさが伝わってきていました。お父さんが亡くなり、お母さんのみの生活・・・兄弟達と寄り添いながら前進してください。歴史・思い出は残ります。頑張ってください!
Posted by 鬼城 at 2018年10月27日 07:51
吉野の食いしんぼう様
 人間は、歳をとると、どんどん子供の頃に帰っていくと言いますが、いつの間にかそのような方向に動いているのかも知れないなどという不思議な思いが時々起こります。歩くべき未来がある間は、頑張っていきたいものですね。
Posted by tentijin at 2018年10月27日 21:39
鬼城様
 ご心配いただき、本当にありがとうございます。できることを探しながら、みんなと協力して、これからも頑張って前に進みたいと思います。
Posted by tentijin at 2018年10月27日 21:44
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