
庭の花
本当に時は、淀むことなく流れていくもののようだ。49日の法要を終えて、片付けておいた祭壇を、小さなものにして再び設置した。お父さんの遺影も壁の上にかけておいたのだが、100ケ日をむかえて再び祭壇に飾った。

屋根に干された大根
ある日、風の国に行ってみると、何と隠居部屋の屋根に干し大根が干してあった。足も腰も痛くて杖をついて歩いておられるお母さんが、家の2階の窓から屋根に出て、棟続きの隠居部屋の屋根に登って干したのであろう。大変な作業だったと思う。びっくりした。

100ケ日の祭壇
100ケ日は、少人数の親戚や近所の方が来ていただいて、午後から念仏を申した。お寺の和尚さんは来ないけど、念仏に長(た)けた親戚のTさんが中心になって念仏を上げてもらった。地区に伝わる念仏のテープが存在していて、もう故人になっている方が、とても良い声で念仏を録音されている。そのテープに合わせてみんなが念仏を申すのが習わしとなっているのだ。念仏が終わって、参加した人たちで、最後の塔婆を持ってお墓参りをする。1つの区切りとなった。

旧式のモノレール
デコポンの収穫中なので、既に収穫した100キャリーほどのデコポンを、クロチの倉庫から三崎道の倉庫に移動させることになった。クロチの倉庫から道路までは、20〜30mくらいの距離だが、道路まではモノレールで上げる。このように小さな倉庫から選果作業をする大きな倉庫にキャリーを上げていく作業を「まく」と言うのだそうだ。「巻く」なのだろうか?

10キャリーを積む
このモノレールは、かなり古いものだし、エンジンがかかりにくいと聞いていた。止めてある場所も不安定な場所なので、なかなか始動のヒモを引くのに苦労する。また、テイクラという燃料を送る装置も付いていないので、チョークだけを引いて始動する。お父さん流のかけ方でやってみると、意外にうまくかかってくれた。

私よりゆっくり登ってくる
モノレールには、目一杯の10キャリーを積んで、発進する。20〜30mの距離なので、私は横の道を自力で駆け上がる。モノレールには、道路まで上がると、ストッパーが付いているので、自力でギアが外れて止まる。

倉庫到着
軽四をモノレールのゴール地点に止めているので、後は、私が自力で車に積み込む。モノレール2回分の20キャリーほどを積んで、大きな倉庫に運び、並べていく。これも、お父さんがやっておられた仕事だと思う。積み降ろしに力が必要だが、やはり、お役に立てて嬉しい。
【関連する記事】
- 885 防 災 訓 練
- 884 心 動 く も の 3
- 883 心 動 く も の 2
- 882 心 動 く も の 1
- 881 夢 の 旅 4
- 880 夢 の 旅 3
- 879 夢 の 旅 2
- 878 夢 の 旅 1
- 877 新 た な 始 ま り 1
- 876 秋 の 農 園 2
- 875 秋 の 農 園 1
- 874 一 周 忌 2
- 873 一 周 忌 1
- 872 秋 ま つ り
- 871 秋 の 農 作 業
- 870 秋 の 柑 橘 農 園
- 869 鬼 北 の 農 園 も 秋 か な 3
- 868 鬼 北 の 農 園 も 秋 か な 2
- 867 鬼 北 の 農 園 も 秋 か な 1
- 866 秋 の 作 業 2
我が母も時として、こんな作業をこの年でやったの?って驚くことがありますが、この年代は辛抱強いですね。
役に立って嬉しいとお手伝いされているtentijinさんに両親愛を感じます。
本当に、お母さんの忍耐強さと自分に対する負けん気の強さには、しばしば驚かされます。同じ立場に私が立ったら、あの半分もできないだろうと思います。あるがままの今こそが、幸せなのだと実感します。
自分の手でやってみて、少しずつ学びながら、人間は成長していくのでしょうね。貴重な体験をさせていただいている気がします。